和歌山市で競い合っている候補者のレベルの高さも話題になっています。他では何故この人が、と疑問視されている方もいると聞きますが、和歌山市の候補者は正面から論戦しているようにレベルの高い戦いを繰り広げています。過去、批判合戦が繰り広げられた時もあったようですが、今回はお互いの批判はない堂々としているので和歌山市も変わってきていると感じるところがあります。
今までは職場や昼食の席で選挙の話題になることはなかったけれども今回は違っています。議論を交わすことで関心が高まっています。そして一旦候補者のレベルが高くなると有権者の見方が変わりますから、再び低レベルの戦いの選挙には関心がなくなる筈です。有権者は候補者のレベルも見ているので、今後とも資質の高い候補者の登場を期待しています。
このように一度レベルを高めるとそれが基準になりますから、今更批判や中傷合戦には戻ることはありませんし、もしそんなことを言ったら陣営の品位と資質が疑われます。この国の舵取り役を誰に託すのか、人物の資質で選択する機運が高まっています。このまま意識が高まっていくことを期待したいものです。
和歌山市でも、夜遅くまであちらこちらで論議が交わされています。この光景と雰囲気を大切にすることで市としてのレベルも高まります。与えられたものに納得するのではなく、あきらめて妥協するのではなく、お互いに意見を交わすことで高い次元に持っていくことが出来ます。
この兆しは、公立幼稚園廃園の問題と貴志川線廃線問題における多くの方々の市民運動からありました。どちらも単に感情的に廃止撤回を求めるのではなく、自分達が出来ることをしたうえで筋道を立てて行政機関に存続を要求していました。
自分達で出来ることを行い、力の及ばないところを市民の税金によって成り立っている行政機関に判断を依頼しています。市民が主役のふたつの活動スタイルには新しい感覚を覚えました。
民意の高まりを感じたあの事象以降、あきらめではなく関心を持つことが自分達の意思を表明する場であることが浸透してきたのかも知れません。結果はそれぞれですが、実行する行為が尊いと思えるように考えが変わりました。
大勢と違う考え方を示すのは勇気のいることですが最初の一歩が一番難しいのです。数年前から一歩を踏み出していますから、この民意の高まりが継続すればきっと和歌山市は変わります。
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