和歌山市に暮らす私達にも選択の機会が訪れました。誰が良いとかの議論ではなく、選択肢を与えてくれることの大切さを感じたいものです。今まで47都道府県の県庁所在地の市で、二大政党のどちらかを選択出来る機会が唯一なかった地域が和歌山市でした。それが解消出来たことを素直に喜びたいものです。選択する機会が少ない環境にいると、いくつかの考え方の中から一つを選択するのは以外と難しいことが分かれます。ひとつを選択することは、他の一つを選択した場合の可能性を捨て去ることを意味します。
大きな選択になればなるほど、もうひとつの可能性を捨てることを躊躇するので安全な選択をすることが多くなります。つまり保守的な考えが心を支配し、その結果行動も保守的になります。現状に多少の不満はあるものの、違う道を選択した場合に訪れる危険を冒したくない考えが蔓延すると、現体制にしがみつく以外の可能性を消してしまいます。消し去るのは他人ではなく全て自分からです。
今までと違う選択をした場合、他人の評価と考え方が気になりだします。自分が正しい選択を行ったのか否か、結果が出ない間は不安感がつきまといます。そして大きな選択ほど結果が出るまでには長い時間を必要としますから強い精神力が求められます。ゴールが先にある場合、ゴールを目指した活動を継続するのは本当に強い精神力が必要です。
日常生活でも小さな選択の繰り返しですが、大きな選択の機会は多くはありませんから突然、選択肢を与えられると戸惑いがあります。しかし大きな選択肢が現れるのに予告はなく何時も突然です。準備が整わないまま、時間的猶予がない場合に選択しなくてはならない場合、その判断基準は損得ではなく自らの志と合致しているか否かです。自分の思いに背いて選択した場合、思い切った行動をとることが出来ませんから、何時も他人の視線を気にしながら生きることになります。
でも思う道を選択する勇気がない場合には第三の道があります。それは選択しないことです。選択する機会があるのに選択しないのも手段ですが、所詮は逃げの姿勢ですから評価対象にもなりません。リスクを取る覚悟を持って選択することが行動に結びつくのであって、選択するとリスクがあるからどちらも取らない姿勢では、決して得られるものはありません。
出来るならば第三の道を歩むことは避けたいものです。
悩むのは夢と希望と志がある場合の選択肢が難しいことです。夢と希望と志は現実社会において漫然としていては実現しないものである場合が多く、実現を目指すためには少数派の立場をとる場合が圧倒的に多いのです。何故なら現実社会で実現が容易なことを求めるような夢や希望や志を持つ人は少ないからです。
確立されている体制の中では実現が難しいけれども夢の実現を目指して行動を起こすことで実現可能にしようとすれば、少数派から出発して道を切り拓く他にありません。でも少数派に身をおくことが怖いため、不本意でも多数派として存在することを欲する人が多いのです。
改革を目指す人、現状から飛び出したい人が素晴らしいのは、リスクに恐怖することなく志のある方向に向かった選択をするからです。志を持っている人は100%を待って選択しているのではありません。少ない可能性でもあればリスクを覚悟して選択し、その方向性を外に向かって意思表示をします。
そこから物事は動き始めます。自分の思いが内心に留まる限りリスクはありませんが、絶対に物事が動くことはありません。
選択肢が与えられる幸運に出会った場合、損か得かではなく、志にそったものを選ぶことで世の中はその方向で動き始めます。気持ちと行動が一致することで周囲と社会がゆっくりと動き始めます。本当の国政や行政改革とは何なのでしょうか。改革の核心は、しがらみと利権、癒着と馴れ合いを絶つことです。民営化論議や小さな行政府、公共事業の見直しなどが言われていますが、実はこのことに尽きるのです。形を変えて議論されていますが、肝心なところに踏み込めない現状があります。
郵便局にあるはずの郵便貯金など約340兆円は、道路公団や各種外郭団体の事業で活用されているので、成長期には効果や期待がありました。しかし民間事業ではないので競争原理が働かないため無駄な事業が浮き彫りにされ始めています。政府に預けたお金が利権で動いているのは私達の本意ではありません。適正な規模と金額で国益のために使用されるのが正当な使用方法です。
元中央官僚の方の話を伺いました。中央官僚は国益を願って理想の政策を立案しますが、政府与党で捻じ曲げられてしまうのが現実だそうです。現在社会においては理想通り実現することは難しいのですが、微修正ではなく捻じ曲げられるのは問題です。捻じ曲げているのは族議員と呼ばれる方達で、それぞれに関係する法案が出されると登場してくるそうです。
結局、中央官僚でいても思いが実現することは少ないと言います。折角日本国のために尽くそうと理想を描いて中央官庁に入庁しても、理想を持たないで利権集団に成り下がっている一部の政治家のために志は挫折する場合があります。
その利権集団と族議員による連鎖を断ち切るのが本当の意味での改革です。2005年9月の選択は単に郵政民営化に賛成か反対かの議論ではないのです。郵政民営化賛成であっても、次の改革では反対に廻る議員もいる筈です。私達は自分の利権集団を守るためだけに行動する力を抑制するための行動を取るべきです。
でもそれを見分けるのは難しいのです。一番簡単で効果的なのは、議員や候補者と話をすることです。今時点の活動の旬は、地方においては市民参加活動やNPOへの理解、教育問題などですから、それらに関する話し合いをすると地方議員の本質が分かります。市道を改修したとかガードレールを取り付けたなどの問題は地方議員の資質とは関係はありません。
国政に関しては官業の民営化や年金、税制問題などについて話し合うと考え方は良く分かります。話し合いをしていても改革の機運は一気に拡がることはありませんが、大切な活動です。利権の維持か改革なのか、子どもや孫の世代のために考えて行動するターニングポイントになる時期が今だと言えます。国の借金とは何ですか。統計上のものなら返す必要はないのでは。
→国の借金とは国債の形で国民や投資家に引き受けてもらっているものです。長期国債でも償還は10年ですから、10年後に買い手にお金で返す必要があります。10年前の国債は今償還期を迎えているように毎年償還しています。借金は無形のものではなく債権の形で実際に借金として存在しています。
国の借金はいくらあるのですか。
→国と地方自治体の借金合計が700兆円もありますし、特殊法人も加えると1,000兆円とも言われています。家計に置き換えると年間収入が400万円に対して支出が800万円あるようなもので、借金の額は毎年増え続けています。
ではお金を印刷して増やすと借金は帳消しになりますが、それは出来ないのですか。
→印刷して通貨供給量を増やすことは出来ますが、そうすると円の価値は下落しますし、インフレが起こります。個人で考えると長年に亘って苦労して預金してきたお金の価値が下がります。物価が需給バランスの均衡がとれるまで上昇するため、物価が安定している生活は今よりも厳しくなります。
国レベルで見ると日本国への信用がなくなりますから、貿易や国間の取引が出来なくなります。国同士の取引は相手国の通貨安定を信頼してのものですから、その信頼を失すると交換は成り立たなくなります。日本国が借金返済のために通貨を印刷する行為は、円の価値を低下させるため国際的信頼を失墜させることになります。
そのなる前に外貨に換金しておくと安全だと思うのですが。
→確かに外貨で預金しておくと円が下落しても安全は確保されます。ただ自分の国を見捨てる行為となりますから道義的問題が残ります。多くの人が円を売り経済成長が期待できる国の安定した外貨に換金すると、円は下落し日本国経済が不安定になります。
借金を返す方法はありますか。
→現在の日本国の借金は莫大なので今すぐ返済するための手段はありません。出来るのは先に話したお金を印刷してインフレ化図ること。もうひとつはデフォルト、借金を返さないよと宣言することです。どちらも形の上では実行可能ですが現実問題としては無理です。
時間がかかりますが構造改革により小さな行政府を目指し、無駄な公共事業を減少させる方法を追及する他ありません。国会の承認を得なくても自由に使える外郭団体にメスを入れることが課題です。郵便局の問題ですが、既に2年前、郵政公社に変革しているので国会のチェックが入るようになり無駄な支出は出来なくなっています。地方自治体においても外郭団体の支出については議会のチェック機能が働かせることは出来ないのです。
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