203.教えられたこと
 見えない相手のことを思うならば目前の方に感謝される行動をしなさいという教えがあります。その心を私的ですが解釈します。
 元来の意味は、故人のご冥福をお祈りする場合、故人が相手だと気持ちを込めないで形式的になることを戒めるものです。故人がお参りに来てくれた私達を見て、どう感じているのかは現実世界に生きている私達には分かりません。私達は故人がどう感じてくれているのか分からないかも知れませんが、目の前にいる方達に対して故人から生前に恩を受けた感謝の気持ちを心から伝え、当方の想いを分かってもらえたなら、故人は例え別の世界にいたとしても感謝してくれるというものです。
 目前の人に感謝の気持ちを伝えられないでいては、故人に気持ちは伝わらないと考えるべきです。お世話になった故人との思い出話や功績を、時には語ることで感謝の気持ちはより伝わります。見えない相手に対して気持ちを伝える場合は、その方と関係する人に対して感謝の気持ちを示したら良いのです。

 この考え方は故人に対してだけ通用するものではありません。遠くにいて中々会えない人に対して、或いはお世話になった人の関係者に対して、付き合いのある人と同様の態度で接することで、直接ではないけれども本人に感謝の気持ちは伝わるのです。目の前の方に想いを話すことによって、距離や時間を越えて自分の気持ちが伝わるものです。
 見えないものに感謝する気持ちがあれば態度に現れますから、相手はこちらの気持ちを認識してくれます。形になるとより相手に伝わりますから見えない気持ちが見える形で伝播していきます。

 技術は能力を超える、人格は資質を超える、という言葉があります。人が成功するためには、能力と資質が必要といわれる機会が多い中にあって素敵な言葉です。
 技術は能力を超える例を挙げます。100mを9秒台で走れる人に走ることで競争を挑んでも勝つことは難しいのですが、勝つための工夫をすれば勝つことは可能です。自転車を作る技術を習得すると勝つことは現実的になります。
 仮に能力が劣ったとしても工夫が出来れば、強い相手に勝つことは可能となります。より速く走ることや空を飛ぶことを可能にしてきたように、個人の能力よりも技術の向上によって社会は飛躍的に進歩してきました。

 人格は資質を超える。資質を持った人よりも人格を備えた人を社会は求めています。
 人格とは他者とのコミュニケーションを図れる能力が大きな部分を占めています。分業が進んでいる社会においては、一人の人間が全てに関わりその全てで能力を発揮することは難しい状況です。そこで必要となるのが人と人とのコミュニケーションです。人は孤独になると精神的に厳しくなりますが、気にかけてくれる人が近くにいることで気持ちが楽になります。人格者が近くにいることで安心感を持てますから思い切った行動が可能となります。
 萎縮すると行動は生まれないことを認識して、せめて自分の周囲では伸び伸びとやれる環境を作りあげたいものです。

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