199.歴史に学ぶ
 人は歴史に学ばなければならないとよく言われます。これは歴史におけるその事象が起きた理由や背景よりも、その事件が後々歴史や人々の価値観の変化にどのような影響を与えていったかが大切だからです。これを理解しておかないと歴史から教訓は得られないのです。後の時代から見て何故と思われるような同じことを繰り返しているのは、歴史から学んでいないからです。しかし歴史から学ぶのは相当難しいことなのです。

 つまり歴史の真っ只中にいると、自分のいる時代が見えないこともあるのです。例えば日本の1990年代はどのような時代ですかと聞かれたら、質問された状況にもよりますが「経済面ではバブルが崩壊し、日本型経営が行き詰まり不況から脱出できない時代でした」と答えます。
 この時代の空気を感じた一人として正しい感覚だと思いますが、ロングレンジで眺めるなら正解かどうかは分かりません。もし2050年の時点で、私が生きていて同じ質問を受けたなら次のように回答するかも知れません。「古い体質から脱皮してモノより心が大切だという新しい価値観が萌芽し、今の繁栄した日本の起点となった時代でした」
この回答には、不景気や行き詰まりという用語は登場しません。現時点においては、これらの用語は時代を表す重要な要素ですが、50年も先の社会では現在多くの人が感じていることでも歴史の中に埋没してしまう程度の出来事なのかも知れません。それよりも1990年代が2050年時点での社会や時代に与えた影響は何かという視点が大切です。

 日本人が持っている自然観と自然との共存の知恵、日本神話の中では、神様ですら働くと考える日本人の労働感、決して自己の信仰だけを絶対視するのではない相対化された宗教観、これら日本人が持つ価値観は重要です。
 現代主流となっているアメリカ型スタンダードは、普遍主義と効率化、勝者と敗者の顕著化などの考え方に代表されています。この考え方は短期的には通用するものですが、長く続くほど優れた価値観かと問われるなら否と答えます。歴史が評価する人の価値観は、それが人間的か否か、人や自然に優しく思いやりがあることだからです。
 権力者が支配したり市民が勝利したりと歴史は繰り返してきていますが、確実に言えるのは人間が作る歴史は行ったり戻ったりしながらも、最終的には人間を大切にする価値観を目指しながら進歩しているのです。

 未来を予測するには歴史を知らなければならないし、問題解決しようとすれば歴史に学べといわれます。この時代が歴史の流れの中ではどのような位置にいるのかを把握し、その進むべき方向を正しく見極めたいものです。

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