147.挑戦
 アテネオリンピック女子470級セーリング日本代表の吉迫由香さんと佐竹美都子さんペアは、2001年にペアを組みオリンピックを目指し始めましたが、翌2002年にナショナルチーム落ちとなりました。目指すべきアテネオリンピックは2004年開催ですからこの時期のナショナルチーム落ちは絶望を伴うものでした。
 しかしオリンピックを目指している選手も決して特別な人ではなく、普段は普通に働きながら練習をしている会社員が多く、あきらめる理由はないと再び挑戦の道を選びました。ペアを存続させるための条件は女子レースで優勝すること、男女混合レースでは女子で一位になることでした。土壇場に追い込まれた二人は、再挑戦の最初のレースで優勝、二度目のレースでは女子で一位となり解散の危機を脱したのです。
 一足飛びではなく、目の前の課題を一つひとつクリアしていくことで道は開けると信じての取り組みでした。2年間の必死の取り組みでナショナルチーム復帰を果たした上、オリンピック出場を決定づけました。
 夢のオリンピックでは、最初のレースで三位に入りましたが、カナダチームから進路妨害の申し入れがあり、審議の結果失格となりました。三位だとポイントが3点ですが、失格となると21点がつけられます。470級ヨットレースは11レースの内、最も悪い1レースの得点を除外した10レースの合計得点を争い、得点が少ないチームが上位となります。3点で発進の筈が21点になったのですから、マイナス18点となり精神的にダメージを受けました。
 世界トップレベルの選手には技術的な差は殆どありません。スタートが悪いと順位を落とさないように守りのレースを指向し、リスクを伴うレース運びやコース取りは難しくなります。結局総合11位で彼女達のアテネは終わりました。初日はどん底からのスタートとなりましたが、最終レースはトップをと狙おうと目的を持ち挑んだ結果、見事に一位でゴールを切りました。
 歴史に「もしも」はありませんが、初日が三位だったとしたら総合で5位に入賞していた計算となります。今更ながら残念ですが、抗議があった場合の審議は英語で行われるため、カナダチームと比較して英語力がない日本チームは思ったことが表現出来ないので不利益を被りました。思ったことが審議の場で伝わっていたら結果は異なっていたかも知れません。
 でも彼女達はオリンピックの結果について、納得はしていないが満足していると話しています。二人に接しているとその気持ちは分かります。困難からのスタートでしたが、どんな境遇にも負けない気持ちを持ち続け、最後のレースで実力を出せたことがやり遂げた満足感につながっているのです。
 大きくて同じ目的を持つならば、多少の不平や不満はあっても立ち止まっている時間はありません。現状に不満を持つ、或いは出来ないことに対して不平を述べても事態は解決しません。そんな事を思うよりも、一所懸命に取り組むことが唯一現状を打破する方法です。
 オリンピックレベルの選手になると、これに負けたら出場出来ないと言う修羅場を誰もが潜って来ています。プレッシャーに打ち勝って出場しているのですから、プレッシャーで負けることはあり得ません。実力が出せないのは、プレッシャーがあるからではなく、自分のペースを掴めないことが原因です。ペースを掴めないのは何故なのか、自分でも分からなくなるそうです。練習を重ねプレッシャーに打ち勝ち実力を発揮する環境を作ってきても、理由が分からないままペースを掴めなくなるので修正は出来なくなります。それが最高峰の舞台であり、精神力の競い合いの場なのです。
 私達の日常では、そのような緊張の場面に遭遇することは稀ですが、どんな状況にあっても自分を表現するためには、最高レベルを目指すのと同様に、日常を大切に生きることで充実感が味わえます。

 普通の人が目標を持ち続け長い時間をかけて練習を積み重ねることで、オリンピック出場までも実現させることが可能となりました。但し、練習は半端ではありません。ウォームアップ前の準備段階で毎日腹筋を600回行ってきました。具体的には300回を2セットです。これを行ってから準備トレーニング、課題を持っての練習に入ります。これを何年間も続けられるのは、強固な意思と夢を持つからこそです。一流になるためには、人並み外れた練習を重ねることが絶対的に必要です。楽をして人より先を走ることは出来ません。レベルを上げるには、練習を積み重ねる以外はないのです。
 今後の活動ですが、吉迫由香さんは新しいペアを組み、既に北京オリンピックを目指して活動を開始しています。佐竹美都子さんは、燃え尽き症候群なのか、現役を引退し高校生を始め後進の指導を行う予定です。コーチをする拠点に和歌浦を指名してくれています。

 世界を目指した二人の大きな戦いは終わりました。アテネの夏も既に過去の事実のひとつになっています。二人が残したのは女子11位という記録だけですが、それを目指した道程と夢の舞台での11レースの挑戦は、私達にやれば出来ることを教えてくれました。これからも夏のオリンピックが巡ってくる度に、二人の挑戦の姿を思い出すことでしょう。
 寒い時期における和歌浦の海に出ての練習、夜間の基礎体力づくりのためのトレーニング、応援キャンペーン活動、自前のティシャツ作成など、二人の活動が今では懐かしく思い起こされます。
 息の合った二人のペアが解散したのは寂しい限りですが、思い描いた夢を達成したことでひとつの時代は終わったのかも知れません。違う道を選んだ二人ですが、これからも次の夢を見つけ追いかけるに違いありません。日本でアテネオリンピック女子470級セーリング競技に出場したのは彼女達だけなのですから。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ