25年前の昭和54年8月、夏の甲子園大会3回戦。箕島高校と星陵高校が高校野球史上最高の試合と言われる延長18回の戦いを繰り広げました。延長12回表に1点を取られた箕島高校はその裏ツーアウト。後がない場面で嶋田選手が「ホームランを打ってきます」とベンチを出てホームランを打って同点。延長16回、再び1点をリードされた箕島高校は、またもツーアウトランナーなしの場面。森川選手が打った飛球はファーストフライ、それを一塁手の加藤選手が人工芝に足を取られて落球、その直後森川選手がホームランを放ち同点となりました。
再試合の色が濃くなった延長18回裏、箕島高校上野選手のヒットでサヨナラ勝ちとなったのです。スコアは4対3でした。結果として、箕島高校は石井投手(現在木村さん)、嶋田捕手のバッテリーで春夏連覇を果たします。
生きた時代によって、どの試合が最高だったか、どのチームが最強と思うのか感じ方は違います。少なくとも言えることは、同時代を生きたチームの印象が最も強いのではないでしょうか。現在の世代なら松坂投手のいた横浜高校を挙げるでしょうし、少し前なら桑田投手と清原選手のいたPL学園を挙げるかもしれません。
私の場合は文句なく、石井投手と島田捕手のいた昭和54年の箕島高校を挙げます。同世代の二人は私達世代の象徴でまぶしい存在です。わすが18歳にして他の誰も体験できない舞台で最高の試合を演じたのですから。ちょうど星陵高校との試合は夕方に少しだけ見て、夕食時テレビを見ると未だ延長で試合が続いていたので、その後釘付けになって見たことを覚えています。和歌山代表の箕島高校を応援していた私は、カクテルライトのまぶしい中、奇跡の瞬間を二度も見たのです。
平成16年12月10日放映の「にんげんドキュメント延長18回からの旅路」では、この試合の主役を演じた、箕島高校石井投手と森川選手、星陵高校の堅田投手と加藤選手を取り上げていました。
石井投手は、延長16回の星陵高校の攻撃を1点で食い止めたことをポイントに挙げていました。2点目は絶対に与えないという気持ちを持っていたので、16回裏で同点に追いつけたと話しています。
確かに人生で苦しいことに遭遇した時、1点を与えてしまうと気持ちが切れてズルズルと後退することがあります。そうなった状態から盛り返すのは至難の業です。少しハンディを背負ってもそこで食い止めて気持ちを切らないようにすることで、次のチャンスは訪れます。
木村さんはその気持ちを今でも持ち続けています。若い時の体験から人生で逆境に出会った時も気持ちで乗り越えています。次々に挑戦する姿勢を保ち、今なお私達の世代のシンボル的存在でいてくれています。
当時の尾藤監督はこの番組内で、星陵高校とのこの試合を「私達にとっては宝物のような試合です」と話していたのが印象的でした。人生は宝物を探す旅のようです。幾つになれば見つけられるのか、または見つけられない人もいる筈です。両校の選手は18歳、尾藤監督にしても37歳の青年監督でした。その若さで宝物を手に入れて人生の旅で持っていられるのは幸せなことです。
その後の人生がどんな経過を辿ったのかは別にして、最高に輝いた瞬間を持っていられる人生はそれだけで価値があります。人は輝ける瞬間を追い求めて生きているのですから。
昭和54年から25年後の現在、その木村さんと一緒に夢を追いかけることの出来る幸運に遭遇しました。同世代で最高の経験を積んできた木村さんとなら、あきらめなければ新しい夢をつかむことは可能です。
高校野球史上最高の試合を演じて春夏連場を果たした木村さんと、和歌山を輝かせる取り組みを行えることは幸せなことです。
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