社会科学に正解はありません。自分の体験・経験・利害・知識により考え方、答えは違ってきます。その答えを出すためには議論が必要となります。議論することにより良い方向が見えてきますが、その中から様々な答えがあって良いのです。学ぶとことは知識ではなくどう生きるべきか、人間の思いを考える場を持たないといけません。
人間と社会、会社はどちらが上にくるか、主役はどちらか考えないといけません。会社のために人があるのではないし、勿論国のために人があるのではない。人のために会社や国があります。人間がより良く生きるためにはどうするのか、私達は文化的な生活をしているのか、世界標準の新しい価値を主張するのが、これからを生きるあなたの役目です。
世の中は自分が思ったとおりに変わるもので、価値も自分が良いと考える方に変わります。そして、どの価値を選択するかによって世の中は変わります。出来れば社会的弱者も困っている人も、全員が気持ちよく生きる方向に価値観を向けて欲しいものです。
バブル崩壊後、第二次世界大戦2回分の金銭的価値が吹っ飛んでいます。人を生かすための経済でないと駄目です。東京でしか飯が食えない、志が遂げられない日本で良いのだろうか。30年間も電車に揺られるサラリーマン、これが本当に豊かな国だといえるのか考えないといけません。それはおかしいと思うのなら、社会を変えようとする気持ちを持ち続けないと駄目です。どこかおかしいと思わないと何も変わらないのです。
かつて銀行のMOF担は、東大卒のエリート社員でしたが、官僚にへつらう生き方をしていました。会社で出世するかも知れませんがそれで一体何になるのでしょうか。私達は身近な歴史上の事例からそんな人生で良いのか考えるべきです。
日本の文化に毒されていないフレッシュな心と身体が日本を変えることが出来ます。例えば車を鉄で作らないといけないというルールはありません。ペーパーで作ってスプレーを吹き付けると強固なボディになるものが出来るかも知れません。何事も出来ないと言う固定観念を持ってはいけません。
人間としてのパワーでその人の評価が決まります。決して肩書きや企業で人間の価値は決まるものではありません。やったら人は伸びるしボケッとしていたらすぐ駄目になります。読書でもスキーでも映画でも、何でも触れることにより人は成長するのです。
そして大切なことは人前で意見を述べること、これは国際標準です。これからは意見が言えないと、社会、世界相手に通用しません。そのために訓練すべきですが、これが日本人に最も欠けています。
そして、肝心な部分は統計には出ないことを知って下さい。公の情報は肝心な事が欠けているし、制度はいつの時代も状況変化から遅れて出来るものです。遅れて出来たもの、過去を観ていてモノは言えないのです。古い知識や統計は参考にはなりますが、未来は眺められません。未来を拓くのは感性を信じることです。新しい事をするのは自分自身が先生なのです。さあ、勇気を持とう。
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