【紙芝居】
週末、
広瀬小学校では学校開放があります。地元地域のKさんが紙芝居のボランティアで参加することを報告に来てくれました。紙芝居だけではなく竹トンボやコマなどの昔ながらの遊びを子ども達に伝える課外授業を行うことになっています。
以前、Kさんから竹トンボをいただいたことがあり、それ以来、付き合いをしています。
小学校から招待を受けたことの喜びと後継者も育っている喜びを直接伝えてくれました。地域の明るさを感じた秋の一時でした。
【休息時間】
Mさんとは少しご無沙汰になっていました。「元気にしている」と電話をいただいた時に、丁度、Mさんの事務所の近くにいたため、移動の途中でしたが会うことにしました。時間にして約15分、元気を与えてくれました。
「ホームページを見ていますから、忙しいことが分かっていたので連絡をしていなかったのですが、今日は少し休む時間を取ったら良いのにと思って電話をしたのです」と束の間の休息時間をいただきました。「息を抜く時間も必要ですよ」とゆったりとした時間を楽しみました。Mさんは休息時間を運んできてくれました。近くにこんな貴重な時間を配達してくれる人がいることに感謝しています。
【就職】
経済情勢が厳しくなり、和歌山市では雇用に明るさが戻りかけていたのに逆もどりしています。就職することが更に厳しくなっています。
最近まで、正職員の採用を増加させていた企業は仕事の減少に伴い、派遣社員の契約を打ち切って人員調整を始めているようです。ここでも正社員と派遣社員の格差が生じています。昼間に関係者と懇談しましたが、就職希望者が就職できない厳しさを実感しました。
一人の職員募集に対して十数人も面接を受けにくるなど、仕事に就くのは極めて狭い門になっています。雇用を考えている会社では希望する人材を確保できるため、人事担当者にとって良い循環になっていますが、就職を考えている人にとっては厳しい状況に晒されています。賃金や職種の希望を言えるような状況ではないことは確かです。
【来年のイベント】
来春の開催予定の各種新年のつどいのゲストについて話し合いました。新春らしく華やかに、そして一瞬で盛り上げられる内容のものを候補としています。早速、相手様に依頼し快諾をいただきました。依頼した先生は本日、東京に出張していたため詳細の打ち合わせはできませんでしたが、イベントの開催が今から楽しみです。
また平成21年7月5日に第11回和歌山巴里祭を開催する予定ですが、ゲストに高石ともやさんに来ていただくことに決定しました。和歌山シャンソン協会に高石さんの知人がいたため出演を承諾してくれたものです。人を知っていることと知らないのでは、イベントの進め具合に天地ほどの差があることを実感しています。
このように、早くも来年のイベントが埋まり始めています。
【食育研修会】
今月、某婦人会では食育研修会を開催する計画にしています。地元食材を使った新鮮で栄養があり、健康でいられる食育についての講義を地元飲食店のオーナーシェフが行ってくれることになっています。内容と講師への講演依頼について会長と調整しました。シリーズで開催してきたこの婦人会の食育研修会も、いよいよ最終回を迎えることになりました。
【嶋清一投手】
海草中学時代、夏の甲子園大会で全国制覇した嶋清一投手が平成20年に野球殿堂入りしたことを受けて、海草中学校・向陽高校、明治大学OB会が中心となって「嶋清一野球殿堂入り記念祝賀会」を開催することになりました。母校の先輩の記念すべき祝賀会にご案内をいただき、出席させていただこうと思っています。
言うまでもなく和歌山県が生んだ野球選手の嶋清一投手は、戦争で散って帰らぬ人となっています。プロ野球人ではなかった嶋投手ですが、戦後60年を経て野球殿堂入りしたことでその功績が認められたことを心から嬉しく思っています。
心から郷土の誇りと思える大人物です。
【オバマ大統領就任演説】
皆さんもオバマ大統領誕生の歴史的瞬間に興奮したのではないでしょうか。聞く人を魅了したオバマ大統領の歴史的演説。少し長いのですが全文をご覧下さい。勇気と希望がここには詰まっています。
「シカゴのみなさん、こんばんは。アメリカは、あらゆることが可能な国です。それを未だに疑う人がいるなら、今夜がその人たちへの答えです。 |
(オバマ大統領誕生を伝える各紙) |
建国の父たちの夢がこの時代にまだ生き続けているかを疑い、この国の民主主義の力を未だに疑う人がいるなら、今晩こそがその人たちへの答えです。
この国が見たこともないほどの大行列が今日、あちこちの学校や教会の周りに伸びていました。並んだ人たちは3時間も4時間も待っていた。人によっては生まれて初めての経験でした。今度こそは違うと信じたから、今度こそ自分たちの声が違う結果を作り出せると信じたから、だからみんな並んだのです。そしてそうやって並んだ人たちが今夜、疑り深い人たちに答えを示したのです。
老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。民主党員も共和党員も、黒人も白人も、ヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、ゲイもストレートも、障害者も障害のない人たちも。アメリカ人はみんなして、答えを出しました。アメリカは今夜、世界中にメッセージを発したのです。私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、単なる赤い州と青い州の集まりだったこともないと。私たちは今までずっと、そしてこれから先もずっと、すべての州が一致団結したアメリカ合衆国(United States of America)だったのです。
私たちは今まであまりにも長いこと、あれはできないこれはできないと言われてきました。可能性を疑うよう、シニカルに恐れを抱いて疑うように言われ続けてきました。けれども私たちは今夜、アメリカに答えをもらったおかげで、手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために。
ここまで来るのに、ずいぶん長くかかりました。しかし今日と言うこの日、この夜、この決定的な瞬間に私たちが成し遂げたことのおかげで、アメリカに変化がやってきたのです。
先ほど少し前に、マケイン上院議員から実に丁重な電話をいただきました。マケイン議員はこの選挙戦を長く、激しく戦ってきた。しかし議員はそのずっと前から、愛するこの国のために、もっと長くもっと激しく戦った人です。マケイン氏がこの国のために払ったすさまじい犠牲のほどを、私たちのほとんどは想像すらできない。勇敢で、わが身を忘れて国に献身するジョン・マケインというリーダーがこれまで国のために尽くし、働いてくれたおかげで、私たちの世界はより良いところになりました。
私はマケイン議員を称えます。そしてペイリン知事を称えます。マケイン議員たちが成し遂げてきたことを称えます。そしてこれから、この国の約束を再生させるため、マケイン氏たちと共に働くのを楽しみにしています。
これまでのこの旅路を共にしてくれたパートナーに感謝したい。彼は心を尽くして戦い、(ペンシルベニア州)スクラントンの街で一緒に育った人たちのために語ってきた。デラウェアの自宅に電車で帰る際、一緒に乗り合わせる人たちのために戦ってきた。アメリカの次期副大統領ジョー・バイデンに、私は感謝したい。
そしてこの国の次のファーストレディ、ミシェル・オバマ。彼女が絶え間なく私を支えてくれなければ、16年前からずっと最高の親友でいてくれた彼女が、礎となって家族を支えてくれた彼女が、私にとって最愛の彼女がいなければ、私は今夜ここに立っていません。
サーシャとマリーヤ。君たちにはちょっと想像もつかないほど、お父さんは君たちを愛しているよ。君たちふたりもがんばったから、約束した通り、ホワイトハウスには、新しく飼う子犬を一緒に連れて行けるよ。
祖母はもうこの世にはいませんが、いま見守ってくれているはずです。私という人間を作り上げてくれたほかの家族と一緒に、祖母は見守ってくれています。今夜ここに家族のみんながいたらいいのに。それは少し寂しい。両親や祖父母が私に与えてくれたものは、あまりに計り知れない。妹のマヤ、姉のアルマ、そして兄弟や姉妹全員に。これまで支えてくれて本当にありがとう。みんなに感謝します。
選対責任者のデビッド・プラフに。この選挙戦の縁の下の英雄。アメリカの歴史でおそらく最高の選挙運動を設計したデビッド・プラフに、感謝したい。
そして戦略責任者のデビッド・アクセルロッドに。最初からいついかなるときもずっと一緒に歩いてくれた彼に、感謝したい。
このために集められた、政治史上最高のチームに。この結果はみなさんのおかげです。この結果を生み出すために、みなさんはたくさんのことを犠牲にしてきた。私はみなさんにいつまでも感謝し続けます。
けれどもほかの何を差し置いても、今夜のこの勝利が真に誰のものなのか、私は決して忘れません。この勝利は、みなさんのものです。みなさんのものなのです。
大統領の職を目指した人たちの中で、私は常に決して有力候補ではなかった。最初からたくさんの資金があったわけでもなければ、大勢の後援を受けていたわけでもありません。私たちの選挙戦はワシントンの広間で始まったわけではない。この選挙戦は(アイオワ州)デモインの裏庭で始まった。(ニューハンプシャー州)コンコードの居間で始まった。(サウスカロライナ州)チャールストンの玄関ポーチで始まったのです。この選挙戦は働く人たちがなけなしの貯金をはたいて、5ドルや10ドル、20ドルを提供して、そうやって築き上げていったものです。
若者は無気力だという神話を拒絶した若者たちが、給料の少ない、そして睡眠時間のもっと少ない仕事に自分を捧げるため、家と家族から離れて参加してくれた。だからこの選挙戦はますます力をつけたのです。
あるいはそれほど若くない人たちから。凍てつく寒さと焼け付く暑さにもひるまず、家から家へと赤の他人のドアをノックしてくれた人たちから力を得ました。ボランティアとなって組織を作って活動した、何百万人というアメリカ人から力を得ました。建国から200年以上たった今でも、人民の人民による人民のための政府はこの地上から消え去ってはいないのだと証明してくれた、そういう人たちから力を得たのです。
これはみなさんの勝利です。
それに、みなさんがこの選挙に参加したのは、ただ勝つためではないと分かっています。ただ私のために参加したわけでもないことも、分かっています。今晩みんなでこうやって祝いながらも、私たちは承知しているからです。明日から私たちは、この時代最大の課題に、次々と取り組まなくてはならない。ふたつの戦争。危機にさらされる惑星。100年来で最悪の金融危機。
今夜ここにこうして立つ今も、私たちは知っています。イラクの砂漠でいま目覚めようとする勇敢なアメリカ人たちがいることを。アフガニスタンの山岳で目覚めるアメリカ人たちがいることを。彼らが、私たちのために命を危険にさらしていることを。
子供たちが眠ったあと、自分たちはまんじりともせず、どうやって住宅ローンを払ったらいいのか、病院の請求書をどう払ったらいいのか、子供の大学進学費をどうやって貯めたらいいのか、眠れずに途方にくれている母親や父親があちこちにたくさんいることを。
私たちは、新しいエネルギーを活用しなくてはならない。新しい仕事を創り出さなくてはならない。新しい学校を造り、脅威に立ち向かい、同盟関係を修復しなくてはならない。
私たちの前には、長い道のりが待ち受けています。目の前の斜面は急です。目指すところに、1年ではたどりつかないかもしれない。大統領として1期を丸ごと使っても無理かもしれない。 しかしアメリカよ、私たちは絶対にたどり着きます。今夜ほどその期待を強くしたことはありません。
みなさんに約束します。私たちは、ひとつの国民として、必ずたどり着きます。
これから先、挫折もあればフライングもあるでしょう。私がこれから大統領として下す全ての決定やすべての政策に賛成できない人は、たくさんいるでしょう。そして政府がすべての問題を解決できるわけではないと、私たちは承知しています。
けれども私たちがどういう挑戦に直面しているのか、私はいつも必ずみなさんに正直に話します。私は必ず、皆さんの声に耳を傾けます。意見が食い違うときは、特にじっくりと。そして何よりも私は皆さんに、この国の再建に参加するようお願いします。国を建て直すとき、アメリカでは過去221年間、いつも必ず同じようにやってきた。ささくれたタコだらけの手で、ブロックを一枚一枚積み上げ、レンガを一枚一枚積み上げてきたのです。
21カ月前、真冬の最中に始まったものを、この秋の夜に終らせるわけにはいかない。私たちが求めていた変化は、ただこの勝利だけではありません。この勝利はただ、求めていた変化を実現させるための、そのチャンスを得たに過ぎないのです。そして以前と同じようなやり方に戻ってしまったら、変化の実現などあり得ない。
みなさんなしでは、変化は実現しない。社会に奉仕するという新しい意欲がなくては、自分を捧げるという新しいスピリットがなくては、変化は実現しないのです。だからこそ私たちは今、新しい愛国心を呼び覚ましましょう。新しい責任感を呼び覚ましましょう。私たち一人ひとりがもっと参加して、もっと一生懸命努力して、自分だけの面倒を見るのではなく、お互いの面倒を見るように。
今回の金融危機から得たほかでもない教訓というのは、メーン・ストリート(普通の町の中央通り)が苦しんでいるのにウォール・ストリートだけ栄えるなど、そんなことがあってはならないということ。それを忘れずにいましょう。
この国の私たちは、ひとつの国として、ひとつの国民として、共に栄え、共に苦しむのです。この国の政治をあまりにも長いこと毒で満たしてきた、相変わらずの党派対立やく らない諍いや未熟さに再び落ちてしまわないよう、その誘惑と戦いましょう。
共和党の旗を掲げて初めてホワイトハウス入りしたのは、この州の人でした。そのことを思い出しましょう。共和党とは、自助自立に個人の自由、そして国の統一という価値観を掲げて作られた政党です。そうした価値は、私たち全員が共有するものです。そして民主党は確かに今夜、大きな勝利を獲得しましたが、私たちはいささか謙虚に、そして決意を持って、この国の前進を阻んでいた分断を癒すつもりです。
かつて、今よりもはるかに分断されていた国民にリンカーンが語ったように、私たちは敵ではなく友人なのです。感情はもつれたかもしれないが、だからといってお互いを大事に思う親密な絆を断ち切ってはなりません。
そして私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、私には、皆さんの声も聞こえています。私は、皆さんの助けが必要なのです。私はみなさんの大統領にも、なるつもりです
この国から遠く離れたところで今夜を見つめているみなさん。外国の議会や宮殿で見ているみなさん、忘れ去られた世界の片隅でひとつのラジオの周りに身を寄せ合っているみなさん、私たちの物語はそれぞれ異なります。けれども私たちはみな、ひとつの運命を共有しているのです。アメリカのリーダーシップはもうすぐ、新たな夜明けを迎えます。
この世界を破壊しようとする者たちに告げる。われわれはお前たちを打ち破る。
平和と安全を求める人たちにお伝えします。私たちはみなさんを支援します。そしてアメリカと言う希望の灯はかつてのように輝いているのかと、それを疑っていたすべての人たちに告げます。私たちは今夜この夜、再び証明しました。この国の力とは、もてる武器の威力からくるのでもなく、もてる富の巨大さからくるのでもない。この国の力とは、民主主義、自由、機会、そして不屈の希望という私たちの理想がおのずと内包する、その揺るぎない力を源にしているのだと。
それこそが、アメリカと言う国の素晴らしさです。アメリカは変われるという、まさにそれこそが。私たちのこの連邦は、まだまださらに完璧に近づくことができる。私たちがこれまで達成してきたことを見れば、これから先さらに何ができるか、何をしなくてはならないかについて、希望を抱くことができるのです。
今回の選挙には色々な「史上初」があり、これから何世代にもわたって語り継がれるいろいろな物語がありました。けれども私が今夜なによりも思い出すのは、アトランタで投票したひとりの女性の物語です。彼女はほかの何百万というたちと同様に、この選挙に自分の声を反映させようと行列に並びました。ただ1つだけ、ほかの人と違うことがあります。アン・ニクソン・クーパーさんは106歳なのです。
奴隷制が終ってから一世代後に、彼女は生まれました。道路を走る自動車もなければ、空を飛ぶ飛行機もなかった時代です。その時代、彼女のような人はふたつの理由から投票できなかった。女性だから。そして皮膚の色ゆえに。
さらに私は今晩、アメリカで生きた100年以上の間にクーパーさんが目にした、ありとあらゆる出来事を思っています。心を破られるほどの悲しみ、そして希望。困難と、そして進歩。そんなことはできないと言われ続けたこと。にもかかわらず、ひたむきに前進し続けた人たちのこと。あのいかにもアメリカ的な信条を掲げて。Yes we can。私たちにはできる、と。
女性は沈黙させられ、女性の希望は否定されていた時代にあって、クーパーさんは生き続け、女性が立ち上がり、声を上げ、そしてついに投票権に手を伸ばすのを目撃したのです。Yes we can。私たちにはできるのです。
アメリカの大草原に絶望が吹き荒れ、大恐慌が国を覆ったとき、クーパーさんは「新しい契約(ニュー・ディール)」と新しい仕事と新しく共有する目的意識によって、国全体が恐怖そのものを克服する様を目撃しました。Yes we can。私たちにはできるのです。
この国の湾に爆弾が落下し、独裁が世界を支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。Yes we can。私たちにはできるのです。
クーパーさんは(人種隔離政策が行われていたアラバマ州)モンゴメリでバスが黒人を差別するのを知り、(同州)バーミングハムで警官が消火ホースの水でもって黒人を抑圧するのを知り、(流血のデモ行進が行われた同州)セルマの橋を知り、そしてアトランタからやってきた牧師と時代を共有しました。アトランタからやってきたその牧師は人々に「We shall overcome(私たちは克服する)」と語った。Yes we can。私たちにはできるのです。
人が月面に着陸し、ベルリンでは壁が崩壊し、われわれの科学と想像力によって世界はつながりました。
そして今年、この選挙で、彼女は指でスクリーンに触れ、そして投票したのです。なぜならアメリカで106年生きてきて、幸せな時代も暗い暗い時代もこのアメリカでずっと生きてきて、クーパーさんは知っているからです。このアメリカと言う国が、どれほど変われる国なのか。
Yes we can。
アメリカよ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。こんなにもたくさんのことを見てきました。しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。もしも私の娘たちが幸運にも、アン・ニクソン・クーパーさんと同じくらい長く生きられたとしたら。娘たちは何を見るのでしょう? 私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?
その問いかけに答えるチャンスを今、私たちは手にしました。今この時こそが、私たちの瞬間です。
今この時にこそ、私たちは人々がまた仕事につけるようにしなくてはなりません。子供たちのために、チャンスの扉を開かなくてはなりません。繁栄を取り戻し、平和を推進しなくてはなりません。今この時にこそ、アメリカの夢を取り戻し、基本的な真理を再確認しなくてはなりません。大勢の中にあって、私たちはひとつなのだと。息をし続ける限り、私たちは希望をもち続けるのだと。そして疑り深く悲観し否定する声に対しては、そんなことできないという人たちに対しては、ひとつ国民の魂を端的に象徴するあの不朽の信条でもって、必ずやこう答えましょう。
Yes we can。
ありがとう。神様の祝福を。そして神様がアメリカ合衆国を祝福しますように。」
今の歴史を感じ学べる演説です。そして何十年か先には歴史を変えた一ページの演説としていつまでも記憶にも記録にも残るものです。これから刻む歴史の最初の瞬間に生を受けていることに感謝しながら。Yes we canの響きを噛み締めたいものです。