【県議会】
県議会では平成19年度補正予算案の審議を行いました。今議会は平成20年度当初予算案と平成19年度補正予算案が提案されていますが、その最初の審議です。経済警察委員会に付託された補正予算の議案は、それぞれの施策が年度末で完結することから予算の調整を行うものです。同委員会に付託された議案は全て全員賛成で可決されました。
また予算特別委員会では、予算審議の方法について打ち合わせを行いました。私の予算委員会での質問は、来月3月12日の木曜日の一番目となりました。質問開始時間は10時からを予定しています。予算委員会は一問一答形式を採用しています。一問一答形式とは、質問者が質問したことに対して当局側が答弁する。それに対して納得しなければ質問者が答弁に対して再び質問を行い当局側が再び答弁する形式のことです。質問者が納得するまでこれを繰り返して行きます。
質問者が和歌山県議会の一般質問では質問者が質問をまとめて述べた後に、当局側から答弁をする形式を取っていますが予算委員会は違う形式のため、私にとって初めての体験となります。予算委員会の質問時間は30分、当局側からの答弁を含めて質問者一人当たり50分の持ち時間となります。
【懇談】
Yさんとは経済問題に関して。Nさんとは和歌山市中心市街地活性化と
和歌山大学観光学部に関して。Sさんとは変革の少ない電報制度の在り方について。Tさん達とは都市圏の経済動向について。Hさんとは和歌山市内の都市計画に関して。Yさん達とは
城フェスタと
和歌祭について。Kさんとは地域における癒しの家づくりについて。それぞれ懇談を行いました。
経済問題に関しては、オイルマネーとチャイナマネーがアメリカを経由して世界を循環していますが、最も有利な投資先に着地していると伺いました。一国の経済施策では制御し切れない、そして一国の経済を外部から左右する巨額のマネーが循環しているのです。資金が着地したところではバブルが起こりますし、引き上げられたところでは経済不安が起こります。実体経済とは違った経済構造がそこにありますが、それが現実なのです。
大きな資金循環の中に地方経済も巻き込まれていますから、経済構造を知ることは大事なことです。
城フェスタと和歌祭に関しては、お城を中心としたイベントで和歌山市の中心市街地を盛り上げるために、和歌祭保存会が協力してくれています。現時点では、従来の和歌浦での時代行列から舞台を和歌山城に変えて時代行列を行ってくれる計画となっています。時代に彩られた和歌祭は、和歌浦地域の若い人たちが復興させた和歌山市の無形の財産です。
書物や記録、そして昔の和歌祭を知っている経験者から学び、平成の時代に紀州徳川家の時代行列を復活させたのです。
そして今年の舞台は紀州徳川家のお城であった和歌山城です。そこに中心市街地の核施設である
フォルテワジマを組み合わせて、お城とぶらくり丁周辺を盛り上げようと考えてくれています。
和歌山祭保存会は「和歌山市活性化のために」の気持ちを持っています。和歌山市役所は、その心意気を感じて欲しいものです。
【人権研修会】
夜は人権研修会に参加しました。講師は和歌山県人権施策推進審議会委員の村田穂積氏でしたが、「素晴らしい」の一言で表現したい内容でした。そこには講演に欠かせないユーモアと熱意があったからです。約2時間の講演でしたが、参加して良かった気持ちにさせてくれました。
人生は誰からも邪魔されないで自由に生きる権利かあるものですから、謂れのないことで他人を批判し、その行動を止めたり気持ちを沈ませることは、誰であってもしてはならないことです。他人と違うことは良いことですから、違うところは長所として評価し、褒めることが大切なのです。人はその人が持つ「良さ」で図れるもので、肩書や地位、枠組みなどで評価するものではありません。個人の心を何かの制約で縛ることなく、自由に飛躍させることが大切なのです。
そして人権の大切さを感じさせてくれる昭和41年の実話を披露してくれました。
昭和41年、白血病に侵されて余命50日と宣告された女子高生がいました。抗がん治療を続けていたため髪の毛は全て抜け落ちていました。この生徒の同級生達は、友達との最後の思い出を作ろうと九州への旅行を計画しました。女子高生は髪の毛がない姿を同級生に見せたくないと思っていますから、参加を拒否し続けます。しかし担任の先生の熱意によって参加することになりました。
体調面から同級生よりも少し早く先生と一緒に九州入りして宿舎に入ったのです。後は同級生の到着を待つばかりになった夜、女子高生は「やっぱりみんなと会いたくない」と言い出しました。髪の毛のない姿を見せたくないと思い始めたからです。この決意は固く、どれだけ先生が誠心誠意話しても全く受け入れてくれませんでした。夜に同級生とは会わないばかりか、翌朝一人で帰ると決心したのです。
策の尽きた先生は、女子高生の同級生達を集めて言いました。「もうどうしようもない。残念だけどあきらめよう」と話したのです。先生は部屋に戻りました。
翌朝、先生が生徒達の部屋に入った時、その部屋の異様な光景に驚きました。男子生徒だけではなく女子生徒も全員、頭の毛を剃って坊主にしていたのです。実は昨夜、先生が生徒達の部屋を出て行った後に、自分たちで何が出来るかの話し合いを続けていたのです。
その結果、友達だったら白血病の女子生徒と同じ立場になろうと決定し、朝までに頭を丸めたのです。先生は、白血病の女子生徒の部屋に行って、嫌がる女子生徒を無理に同級生の部屋に連れて行ったのです。髪の毛のない同級生達を見た女子生徒は、泣き崩れてしまいました。同級生の真の気持ちが伝わり、本当の友達であることを理解したのです。姿ではなく気持ちがつながっていることの素晴らしさを心で感じ取ったのです。
その日は全員で九州の楽しい思い出を作ることが出来ました。
そして40日後、白血病の女子生徒はこの世を去りました。同級生達との思い出を抱えながら。わずか17歳の人生でしたが、最後の同級生達の真の友情に触れ、短いけれども友を信じられる充実した人生だったと言い残したそうです。
それから40年余が経過しています。60歳を迎えようとしている同級生達の心には、17歳の女子生徒が存在しています。体は遠い過去に消え去っていますが、心ではいまでもつながっているのです。長い短いの期間ではなく、瞬間であっても充実した時間は心に残るものなのです。
これが白血病の女子生徒の心を救った同級生の物語です。
あれこれ考えているだけでは、相手に何も通じませんし何も起こりません。一歩を踏み出すこと、一言声を掛けることが自分の気持ちが相手に通じるのです。朝の「おはよう」の挨拶が、接する相手を元気にするのです。朝の掃除が、道行く人の気持ちを晴れやかにするのです。
思っているだけで相手を幸せにすることは出来ません。幸せを創るのは考えや思うことではなく言葉と行動なのです。どれだけ素晴らしい企画を考えても実行しなければ何の変化も起こりません。それよりも簡単な朝の一言の挨拶の方が、相手と周囲、そして自分に変化を起こさせてくれます。大それたことではなくて自分で出来ることを行動に移すことが大切なことなのです。
もうひとつのお話。村田穂積さんは関西大学で約4時間、硬式野球部に所属した経験があります。高校野球球児だった村田さんはプロを目指す程の自信を持って、関西大学の野球部テストを受けました。その時の合格枠は2人でした。
テストは「あいうえお順」のため村田さんのゼッケンは27番。テストを受けるのは28人でしたから最後から二人目でした。投手だった村田さんは自信を持ってピッチングを披露しました。村田さんは投げ終わって、次の28番の投手のピッチングを見て驚きました。高校生とは思えないような速いボールを投げ込んでいるのです。28番の投手のボールをキャッチャーが受けられなかったのです。キャッチャーも交代して、同じくテストを受けていた新人が構えました。
村田さんはこのバッテリーを見て、関西大学での野球を残念したのです。その時の28番の投手は、村山実投手、キャッチャーは上田利治捕手だったのです。村山投手は後の阪神タイガースのエースになり、上田捕手は現役引退後、阪急ブレーブスの監督になりチームを日本一に導いた名将となったのです。
村田さんは野球に見切りをつけ、大学から大学院博士課程に進み、法学の勉強に12年間専念しました。そして商学博士として社会で活躍した経験を持ち、現役引退後に故郷和歌山県に戻って来ました。身につけた知識と社会経験を故郷の後輩に伝えるために戻って来てくれたのです。身につけたものは後輩に伝えることで継承出来ますが、大切に自分だけで持っていても誰かに伝えないと、その知識と技術はこの世から消え去ることになります。
さて問題です。プロ野球会に名前を残した村山実さん、日本一の監督経験のある上田利治さん、そして商学博士として今なお活躍中の村田穂積さんの同級生の三人。一体誰が一番偉いのでしょうか。
答え。人権の観点からすると、みんなそれぞれ違っているので優劣はつけられないが正解です。みんな活躍した分野が違いますから、誰の能力が優れているのか順番をつけることは出来ないのです。
繰り返しになりますが、今もファンの記憶に生き続けている元阪神タイガースのエース村山実さん。阪急ブレーブスを日本一に導いた名将上田利治監督。そして商学博士であり「商業信用状」に関しての日本で唯一の研究者である村田穂積さん。誰の能力が優れているのか、比較することすらおかしいことなのです。
人はそれぞれ能力が違うのですから、得意な分野で一番になれば良いのです。自分の得意分野を高めていくための長い人生は、誰とも比較出来るものではありません。最初は同じようなものであっても、長い人生の過程において人の能力を発揮するそれぞれの分野に枝分かれしていき、それぞれの人生の一番になるのです。そこには比較や優劣はありません。
受験での競い合いや競技での優勝争いなど、人生において短期的には勝負は大切ですが、
最後には、人は支え合って生きていることに気付きます。それぞれ違う能力を組み合わせて協力し合う方がより大きな成果が得られるからです。自分の能力を高める努力の継続と、自分で出来ることを行うことに価値があるのです。