【紀州レンジャーズ】
昨日記者発表した独立リーグ参画を目指す野球チームの紀州レンジャーズ。反響を呼んでいます。概要やセレクションについての問い合わせを多数いただいています。ありがとうございます。以下にセレクションの概要と報道記事を掲載し紹介させていただきます。
・紀州レンジャーズセレクションの概要について。
開催日時 |
2008年1月5日(土)12時〜17時(終了時間は予定です)
※雨天予備日:1月6日(日) 8時〜 |
開催場所 |
和歌山県営紀三井寺球場
和歌山市紀三井寺毛見200 TEL.073(444)7565 |
応募要項 |
下記いずれかの方法でエントリー用紙を入手して下さい。
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インターネットで入手
下記インターネットホームページからエントリー用紙をダウンロード
(ワード形式/PDF形式)
◎こちらからエントリー用紙をダウンロードしていただけます。 |
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郵送で入手
紀州レンジャーズ設立準備委員会まで、返信用封筒を添えてエントリー用紙をご請求下さい(返信用封筒には返送先を記入の上、80円切手をお貼り下さい)。
◎紀州レンジャーズ設立準備委員会
〒641-0014 和歌山市紀三井寺毛見200 TEL.073(444)7565
※郵送にてエントリー用紙申込みの受付期間は
12月3日(月)〜12月20 日(木) |
エントリー用紙送付方法
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メールにて送付する場合(必ずエントリー用紙を添付して下さい)
送信先メールアドレス ⇒ selection@kimiidera-park.com |
A |
郵送にて送付する場合。
郵送先 ⇒ 紀州レンジャーズ設立準備委員会
〒641-0014 和歌山市紀三井寺毛見200 TEL.073(444)7565 |
送付いただくもの
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エントリー用紙 |
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自分野球経歴および実績(打率・勝率・防御率等のデータ等)を証明する新聞記事などがありましたら同封下さい。 |
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応募資格 |
セレクション受験資格は、下記の項目全てに該当する必要があります。
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野球またはソフトボール経験者 ※軟式・硬式を問わず |
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15歳以上の男女 ※中学生の場合は2008年3月卒業見込み
であること |
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和歌山のプロ野球チームの一員として自覚をもって行動できる方 |
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NPBやアイランドリーグ、ベースボールチャレンジリーグに所属していた経験のある場合は、所属していたチームの退団証明書を持参できる方 |
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平日10時〜14時の練習に参加できる方 |
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募集人数 |
22名(女性枠2名含む)※今回のセレクションの実で全22名を決定させるものではありません。 |
セレクション内容 |
@50m走
Aキャッチボール
Bバッティング
C実技審査
D個人面談 |
以上がセレクションの概要です。
また主な報道内容は以下の通りです。
朝日新聞(2007.12.4)
和歌山にプロ野球チームが誕生するか――。NPO法人「和歌山野球振興協会・夢クラブ」など県内の3団体が協力して、独立リーグへの参入を目指すプロ野球チーム「紀州レンジャーズ」の結成へ動き出した。選手は女性2人を含む22人を予定。08年春にも発足させたいとしている。県民らの支援で運営し、県密着型のプロ野球チームとして、地域活性化、スポーツ振興などに取り組んでいくという。
「夢クラブ」「はまゆうグループ」「和歌山観光医療産業創造ネットワーク」の三つのNPO法人でつくった「紀州レンジャーズ設立準備委員会」が3日、和歌山市毛見の紀三井寺公園陸上競技場で会見した。
プロ野球チームの構想は、3年前ごろから始まったという。同委員会の委員長には箕島高校のエースとして活躍した木村竹志・夢クラブ理事長が就任。「四国や北信越には独立リーグがある。関西圏で独立リーグができた時に参入する『県民球団』をつくりたかった」と説明した。
08年初めにも、チームをNPO法人として県に申請する。チームの運営費は、県民や企業から「サポーター」を募り、その会費や寄付などでまかない、年間1億円弱の予算を見込んでいる。
選手を選抜する「第1回セレクション」は08年1月5日正午〜午後5時、和歌山市毛見の紀三井寺球場で。コーチを務める和歌山市出身で広島カープで活躍した井上紘一さん(30)は「野球が好きでやる気がある人に来て欲しい」と話す。
応募資格は、男女15歳以上の野球またはソフトボール経験者で、平日午前10時〜午後2時の練習に参加できる人。
読売新聞(2007.12.4)
2009年に野球の独立リーグ参入を目指す「紀州レンジャーズ」が来春、和歌山市を本拠地に誕生することになった。元箕島高エースで設立準備委員会委員長の木村竹志(旧名・石井毅)さん(46)らが3日、同市毛見の紀三井寺公園陸上競技場役員室で記者会見して発表した。県民や企業からサポーターを募り、地域の活性化につなげる「県民球団」として活動を始める。
準備委員会は、木村さんが理事長を務める「和歌山野球振興協会・夢クラブ」、「はまゆうグループ」(中公之理事長)、「和歌山観光医療産業創造ネットワーク」(田村友二理事長)の3NPO法人で発足。有識者らを加えて新たなNPO法人を設立し、チームを運営していく。
チームは「野球を通じての地域活性化」を基本理念として、野球教室や指導者講習会、球場での名産品の販売などを行い、社会福祉活動やボランティア活動にも参加する。
運営費は年間1億円弱を見込み、サポーターからの支援は、1年目に個人(年間2,000円)1万口、法人(年間3万円)150口を目標にしている。
選手は、来年1月5日に紀三井寺球場でセレクションを行って募集。野球、ソフトボールの経験がある15歳以上の男女が対象で、22人のうち2人は女性枠とする。来季は準備期間として同球場で練習を重ねるなどして、関西などでの独立リーグ参加は09年からの予定。
木村さんは「独立リーグ設立の動きは全国にあり、和歌山も加わりたいと思っていた。野球を通じて和歌山を元気にしたい」と話した。
<球児の新たな受け皿に>
プロ野球チーム「紀州レンジャーズ」の設立構想は、降ってわいたような話ではない。四国アイランドリーグや北信越BCリーグなど、各地で独立リーグがスタートするなか、木村さんは「約3年前から構想を持っていた」という。
背景には、有望な高校球児が卒業後は県外の大学や企業へ流出していくという状況がある。都市対抗野球で1度、日本選手権で7度優勝した住友金属(和歌山市)が1999年に廃部となってからは、県内に企業チームはない。クラブチームの和歌山箕島球友会が、社会人野球の唯一のチームとして活動しているだけだ。野球関係者からは「球児の新たな受け皿があれば」という切実な声を何度も聞かされた。
木村さんは「古里に戻って野球を続けたいという人たちの願いをかなえたいし、プロ野球を目指す少年たちに夢を与えたい」と趣旨を説明。「四国に独立リーグができてから、参入したい思いがずっとあった」とも打ち明けた。
もちろん、軌道に乗るまでの課題は多い。年間1億円弱と見込む運営費を、果たして確保できるのか。入場料を取って見せる以上、それ相応のプレーが求められ、そのためにはレベルの高い選手の獲得も欠かせない。ハードルは高いが、せっかく芽生えた地域活性化への動きを摘み取ることなく、応援したい。」
毎日新聞(2007.12.4)
県内3NPO法人でつくる「紀州レンジャーズ設立準備委員会」(木村竹志委員長=旧姓名・石井毅)が3日発表した、野球の独立リーグ参入を目指す新球団。和歌山市内で記者会見した、NPO法人和歌山野球振興協会・夢クラブの理事長でもある木村委員長は「強いチーム作りはもちろん、県の活性化にもつなげたい」と抱負を述べた。
球団名「紀州レンジャーズ」は、県のマスコットキャラクター「紀ノ國戦隊紀州レンジャー」に由来。知名度もあり、地域活性化を図る球団のイメージにも合うと考えた。県営紀三井寺球場(和歌山市毛見)をホームグラウンドとし、県内各地で少年野球教室の開催なども行う。
運営主体として、NPO法人を来春にも新設する予定。サポーター組織を作り、必要な運営費はすべて、市民や地元企業からの会費で賄うなど、地域密着型の「県民球団」を目標とする。
すでに関西圏を中心に独立リーグの構想が進んでいるといい、09年度の参入を目指す。08年度は木村委員長が監督を務め、コーチは市和歌山商高出身で元広島カープの井上紘一さん(30)ら。来年1月5日正午から、同球場で選手の入団のテストを開く。応募資格は、野球またはソフトボール経験者で15歳以上の男女。
【懇談会】
夜は三箇所の懇談会に出席いたしまた。主催者の皆様方にはお招きいただき、また挨拶の機会も提供してもらい、ありがとうございました。また小・中学校の同窓会にも参加しました。小・中学校の同窓会は卒業以来、初めての開催ですが、中学校を卒業してから30年が経過していることに驚きます。
参加者は約60人ですから驚きです。幹事役を買って出てくれた皆さんに感謝いたします。30年間も連絡が途絶えていた同級生の連絡先がよく分かったものです。面白いことに顔を見て直ぐに思い出せる人と面影がなく名前が思い出せない人がいるのです。
中学校を卒業して以来ですから、大人になって今までそれぞれの全く違った人生があったことを知ることが出来ます。自営業を引き継いだ人、医者になった人、公務員になった人、飲食店を経営している人、会社員の人など、子どもの頃の理想と現実は合致しているのか、それとも違ったものになっているのか人それぞれですが、ただ言えることは、全て自分が選択して来た道だと言うことです。全ての交差点でどちらの方向に行くかを決めたのは自分以外にありません。中には他人に背中を押されたという人がいるかも知れませんが、例え背中を押されたとしても、交差点を超えて直ぐなら引き返す選択肢もあったのです。その道を選んだのは紛れもない自分なのです。
その中で一つ印象深い話がありました。
「中学生の頃、司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」を読んで憧れたことがあります。自分も大人になった時には世界を駆け巡って、人のため世のために尽くしたいと思いました。また商社を作って世界を股に駆けたいと思ったものです。そのためには商社に行くか、貿易の仕事をしたいと考えました。ところが今では和歌山市内で商売をしているのです。これで人生良いのかなぁと考えることがありますが、年齢を考えると他の道に方向を変えることは難しいのです。かなり思ったのと違った人生になっています」。これは個人特有の問題ではなくて、多くの人が年齢を重ねた時に思うことです。
引き返すことが出来ないのが人生、それに気付いた時に、夢と現実を比較して自分の人生はこんなもものではなかった筈と思うのです。しかしそれは夢ではなく現実のもので、気がついたら数十年が経過しているものです。
でも考えて見れば、商社ではないのですが、結果として商売を職業としているのは、思い描いたことが実現しているのです。世界を相手にしている訳ではありませんが、商品の流通を通じて社会に貢献していることに変わりはないのです。思い描いたとおりに現実はなっているのですが、真の到達地点を世界だと強く思わなかったのかも知れません。到達地点を生活基盤のある域内を心で具体化させたことで、域内で商売することになったような気がします。
でも30年が経過して今があるのではなくて、その時、その時の積み重ねが今と言う時ですから、確かに今から世界に舵を切るのは厳しいかも知れませんが、これもやってみないことには結果は分かりません。幾つものコースを走り選択肢を抱えた生き方をしていると、複線レールのように途中からでも切り替えることも可能ですから、今の活動の領域を少し拡げることもこれらからの手段として有効です。
夢と現実にズレがあるのは仕方のないことですが、その差を少なくする努力は何時までも必要なことです。点線で書かれた夢の折れ線グラフに、現実の実線を合せて行く生き方をしたいものです。