【発表会】
和歌山市民会館において「卯月流恋華の会」舞踊発表会の案内をいただいたので、行ってきました。この舞踊会の主宰は家元の卯月恋華さんで、後援会がお手伝いを行なって開催しているものです。和歌山県で舞踊を楽しんでいる方が多いのに驚かされました。会場の市民会館は満員で席が見当たらない程でした。
家元の舞踊や会員の皆さんの踊りを楽しませていただきました。また途中、恋華の会後援会長と懇談する時間をいただき、これからも和歌山県で根付いたこの文化を、発表の機会を得て実施していくことで、文化活動の拡大につながることを確認しあいました。
【文化講演会】
「地形からみた和歌の浦の名所」と題した講演会に行ってきました。場所は和歌浦にある県公館です。講師の小林護先生は、万葉の時代から現代に至る和歌浦の歴史をたっぷりと話してくれました。また同時に経石の展示会も催され、和歌浦の歴史と共に解説してくれました。
古代、和歌浦を訪れた人はこの海岸を訪れることで癒され、海から力をいただき蘇ったようです。見る風景がこの地にあったのです。それが江戸時代になると、人工的な建造物も立ち並ぶ見られる光景となり、景勝地と生活の場としての風景が出現しました。見る風景から見られる風景へと変化していったのです。
昭和になると、従来の和歌浦から山にトンネルが抜かれた新和歌浦に旅館が立ち並び、観光の地として注目を集めました。松島や天橋立、巌島と並ぶ、日本でも有数の名勝として観光の拠点となりました。見に行く風景がここに出現したのです。
そして現代、新和歌浦の旅館は廃墟となったところがあり、しかし新しいマンションも建設されるなど、観光地としての役割は新旧交代の時期を迎えています。このまま廃れるのか、新しい観光地として生まれ変わるのか正念場となのです。
見に行く風景から体験する場所へと変化を遂げる時期に差し掛かっています。同じ和歌浦であっても時代と共に変化を伴っています。景観を保つことは大切なことですが、それに加えて、その時代の人々が欲するものを提供する地域であることで、皆さんが訪れてくれる場所となり得ます。
困難であったとしても和歌浦再生に立ち向かう姿勢を主催者は持っています。
松本会長からは「困難に直面し泣いていると、最初は気の毒に思って誰かが助けてくれます。しかし何時までも泣いてばかりであれば、その誰かは、次第に励ますことを止めてしまいます。
困難に遭遇して倒されて泣いたとしても立ち上がり、そしてまた倒れても立ち上がる姿勢を見せることで、周囲の誰かを感動させます。何度でも諦めないで立ち上がることで、展望は開かれてきます」。との話もありました。
確かに、何度倒れても何度でも立ち上がる姿は素敵です。それは誰でも行なえるものではないからです。人は倒され続けると立ち上がる気力が萎えてきます。一度や二度なら平気ですが、困難が何度も、そして次々と襲ってくると、寝ていた方が楽だからです。目標を諦めることは一番楽な方法です。物事を諦めると、傷つかないままでいられること。もう起きなくても良いこと。立ち上がらなければ困難に直面することはないからです。
人は楽な道を指向すれば、それ以降、分かれ道に差し掛かるとその道を選択することになります。
楽な道を選択することは決して悪いことではありませんし、その方向で楽しめる場合もあります。しかし困難を克服して壁を乗り越えると、今までと違った風景に出会うことがあります。これは楽な道を選択し続けても決して見ることが出来ない光景です。
自らの経験上、見たことのない風景や出会ったことのない人、そして味わったことのない経験が待っています。嵐の中を突き抜けた飛行機から、突然、青い空が見えるのと同じような瞬間です。青い空を見た人は、再びうつむいて、地面だけを見るようなことはしません。
青い空の向こうに何があるのかは分かりませんが、希望があるのは確実です。何故なら、到達地点に希望があるからではなく、そこに向かう過程に希望があるからです。困難に立ち向かうことは、心の中に希望が生まれている証拠です。希望の彼方に青い空が見え始めます。
つまり気持ちの持ち方次第で見える風景は違いますし、青空の彼方に希望を持って旅をすることが出来るのです。
泣いて立ち止まったとしても、自分の心に打ち勝って再び立ち上がり、立ち向かうことで、人生は希望を持って青空の彼方まで旅することが可能となります。
人生には泣いている時間も、立ち止まって震えている時間も十分にあります。でも一歩を踏み出さないと、その場に立ち尽くしたままでは本来見られる筈の素敵な風景を見ることは適いません。
明日の風景を違ったものにするために、目指しているものに何度でも挑戦しましょう。
【ジャズストリート】
今夏も
ぶらくり丁では、ジャズストリートイベントが開催されました。和歌山市をジャズで元気なまちにしようとする試みで、会場は中心市街地のぶらくり丁です。旧丸正前やぶらくり丁内、各飲食店の演奏会場で、市内のバンドが演奏で私達を迎えてくれました。
その中で、交友関係にあるグループFのライブに参加して来ました。このグループのライブは、オーソドックスな曲を誰にでも親しめるテンポにして聞かせてくれます。そして「和歌山県にいてもやれば出来る」と励ましてくれているようです。そのメッセージを伝えるために、まちづくりに積極的に関わろうと毎年のジャズストリートにも参加しているのです。
以前も活動報告で書きましたが、グループFのFとは、ファイト、フレンド、フレッシュなどを冠にしたもので、私達が日常生活で忘れないで持ち続けたい言葉を表し、それに即した演奏曲を聞かせてくれています。
夏のひと時、Fのスイングで涼しくなりました。
【帰路】
今日、各種イベントにお付き合いをいただいたのがTさんです。日頃からお世話になっていますが、今日は短時間で市内を駆け巡りました。和歌浦の文化講座、経石の展示会場、中心市街地でのジャズなど、文化と景勝、そして音楽と中心地の取り組みに触れることが出来ました。和歌山市でも一日を有意義に過ごすことが出来ることをTさんと話し合いながら帰路に着きました。
【通夜式】
ある地域の自治会長のお子さんがお亡くなりになりました。突然のご不幸ごとでその原因は肺炎でした。子供に先立たれる程、悲しいことはないと聞きます。この世に姓を受けたその順番を守ることが大切ですが、時と場合によってこれが狂うことがあります。その心中、想像することも出来ません。今はただご冥福をお祈りいたします。
【年金】
初心忘れることなかれ。簡単なようで簡単ではありません。しかし、たまには初心を忘れない環境に戻ることで、気持ちを再認識することが可能です。今日は心が痛みました。
和歌山県は関西では最も高齢化が進んだ県であり、全国でもトップクラスに位置しています。ですから高齢化世帯が安心して過ごせる地域でありたいと思いますし、そんなまちづくりを目指したいところです。
ところが年金で生活している世帯の生活は大変な状態です。昨年もそうでしたが、年金で生活をしている人にとって少しでも差し引かれる金額が増加すると、忽ち死活問題になります。
「毎月の資金繰りが大変で毎日の生活も困り始めています。誰にでも話せることではありませんから余計に苦しいのです」。多分、誰にも相談できない年金世帯が多いと思います。
月々1万円捻出することが如何に大変なことか。この痛みを分かる人間でなくてはなりません。年金から差し引きされる金額が増加すれば、他に収入がないだけに支出を押さえる以外に生活を維持する手段はありません。現役世代なら能動的に収入を得る方法もありますが、年金世代はそのことが難しいのです。
働ける年代や環境ではない方が収入を減額されたら、日々の生活を切り詰める他ありません。只でさえ年金で贅沢な暮らしはしていませんから、切り詰めた生活を更に、切り詰めることは容易ではありません。
誰にも相談できずに、そして夫にも内緒で生活費を切り詰めて、何事もないように普段通りの生活を過ごす。このことは精神的苦痛を伴うものです。生活の厳しさと精神的苦痛と共に暮らしを営むことの厳しさを、年金制度設計を行っている人の内、どれだけの人が分かっているのでしょうか。
私も現在の生活を見詰め直すことから始めたいと思います。社会に出た頃の初心に返って、支えてくれる人がいたからこそ、現在があることに感謝する気持ちを忘れないでいます。アルバイトで、月に2〜3万円のお金を稼ぐことが大変だった時代を忘れてはならないのです。1万円札を見るのはお年玉だけだった時代から、自分で稼いだ1万円札が2〜3枚も手元に出来た時の喜びを思い出したいものです。
現在の年金や税制の問題は、単に税の公平な負担を求め、世代間の平均化を図る問題ではないような気がします。思うのですが、高度成長期のわが国を支えた現在の高齢者の皆さんは、この国の将来の発展を夢見て、その時の生活と家族との時間を犠牲にしてまで懸命に働いてきたのです。その結果が現在の日本を創っているのです。
日本の未来を信じて懸命に働き、現在の素晴らしい日本を築いてくれた皆さんに対して、その21世紀という未来が冷たい仕打ちをするようでは、もう次の未来はありません。尊敬すべき年長者を敬う、そんな基本的な教えを守れないようでは、この国を支える力は残っていません。
再び日本が登り始めるためにも、高度成長を支えた経験者である年金生活者の皆さんを大切に思う気持ちを持つべきです。もう悲しみに満ちた横顔を二度と見たくありません。地方で生活する人の気持ちや痛みを分かる人が政治に携わるべきです。中央で制度設計するだけの人に全てを任せるのではなく、私達の生活の声をしっかりと受け止め、議論の場に反映させることは現役世代に課せられた重要な使命です。
因果は巡ります。尊敬すべき先輩を敬わないでいると、やがてその立場になった時、次の世代は前の世代に対して、同じような仕打ちをすることでしょう。
私達は良い生活循環を作り、将来に希望を持てるためにも、高齢の方が悲しむことなく楽しく生活出来るような社会にする責務があります。現在の高齢者の方は、年金を貰ったからと言って、そのお金を自分のためだけに使ってしまう人は殆んどいません。子どもや次の世代のためにお金を使ってくれる方々です。そんな気持ちを持った方達にお金を循環させない方がおかしいのです。
笑顔で生活する高齢者家族をいつまでも見ていたいものです。初心を忘れない。そんな気持ちを取り戻させてくれたことに感謝しました。