【打ち合わせ】
和歌山大学で打ち合わせを行いました。5月に和歌山市内で開催予定の大学の研究発表会に伴う企画と事前準備に関する話し合いです。大学で何を研究しているのか、どんな先生がいるのかを知ってもらうためにも大切な取り組みです。
【会合】
先日、私のホームページを見てくれた方から連絡をいただき、午後から意見交換を行いました。連絡をいただいたのは団塊の世代で定年まで後数年の方です。団塊の世代の社会における受け入れ先を行政が整えておかないと大変なことになると言うものです。行政の責任として社会の受け入れ体制を整えておく地方自治体とそうでないところでは大変な差が発生します。
現在の60歳はまだまだ経験と知識を活かせる年代です。定年と同時に社会で存在場所がなくなるのは地域社会の損失でもあります。再度、あるいは継続した活動の場所を提供することが地域の活力を保つことになります。後を託す若い世代を前面に立たせて、団塊の世代である経験者達がその活動と判断を支えることが活力を生み出します。
ただし定年後に何かをしようではなく、現役時代から社会貢献活動に取り組んでいることが大切です。定年したら海外旅行する、英語を習うと聞いてもそれを実現している例に出会うことは稀です。何か行動している人は定年してからも行動出来ますが、仕事一筋の人が余暇を楽しむことやNPOやボランティア活動に参画するのは勇気が必要となります。出来れば現役時代から社会参画をしておくことが、定年後の生き甲斐維持と社会での受け入れに応じるためには望ましいことです。
【講演会】
和歌山バイオサイエンス連絡協議会による講演会に出席しました。和歌山のバイオを盛り上げるために実施、充実した講師陣となりました。
バイオとは食べる、生きる、暮らすことにつながるものです。そのため長期的には人材育成とインフラ整備、バイオ研究者が就職出来る企業誘致が必要です。
短期的には販売戦略、ニーズ創出型研究開発、研究者の業際ネットワーク構築が求められています。 |
(バイオ講演会) |
さてバイオを考えることは人と人が暮らす地球を考えることにつながります。今から137億年前、宇宙でビッグバンが起き生命が誕生していくことになります。生命の誕生の起源となったビッグバンについて解明されたのは2003年のことです。
ビッグバンで星が誕生したのですが、この頃誕生した第一世代の星達は現在では全て無くなっています。私達が住む地球太陽系に属していて、太陽系銀河の星達は全て同じ方向に廻っています。それなのに生命がいるのは地球だけですから不思議です。地球と金星、火星が誕生した頃の三つの星の二酸化炭素の濃度は同じでした。地球だけが海ができ冷やされ、二酸化炭素の炭素だけが海に沈み、分解された酸素だけが空気中に放出されることになります。そのため空気中の二酸化炭素の濃度が低下し、生命を生み出す大気構成に環境を変えました。奇跡の配分とも言えます。
ところが資源となった炭素を取り出し燃やすなどして炭素を大気中に放出しているのが現代社会です。かつてあった炭素が資源となり人間の活動領域から姿を消しているのですが、それを取り出して大気中に放出することは地球誕生と同じような大昔の環境に戻していることを意味しています。
そうなると太古の地球と同じ量の二酸化炭素を持つ大気となりますから、火星や金星と同じ条件となり人間が生きられる環境ではなくなります。
環境問題は人類の存続問題でもあり、バイオはそれを解決する鍵とも言えます。
閑話休題
人間は自然に学び、自然に遊ぶことが大切です。日本人のノーベル賞受賞者の生誕地をプロットすると富山から愛知に一本の線を引いた線上に並ぶことが分かります。ノーベル街道とも言える線が現れます。
田中耕一さんは富山出身、利根川さんは大沢野、小柴さんは神岡、白川さんは高山、野依さんは名古屋出身ですから、見事ノーベル街道が出現します。
自然と共存することが感性を高めてくれるのかも知れません。
【和菓子職人】
平成18年2月現在、77歳の東久次さんは和菓子職人です。いま尚現役で工房に立って和菓子を創作していて、その作品とも言える和菓子は小さな店頭に並べられています。
(表彰の数々) |
若い頃から全国的な大会で表彰を受けているなど輝かしい経歴があります。やがて長男を後継者として指名、自然に長男も父親の姿を誇りに思い工房に立ち、父親は技術を伝承してきました。通常であれば、そろそろ父親が現役を引退し後継者が後を継ぐ年齢に達しています。今まで流した汗が染み付いた工房に立つと、親子で和菓子を創作している姿が浮かんでくるようです。
全ての技術を伝えた後はお孫さんとの楽しい生活が待っている筈でした。ところが6年前、元気だった長男が水疱瘡にかかり死亡しました。夢にも思える突然の出来事です。 |
「子どもみたいな病気にかかってしまって。それで死ぬなんて」と言葉を搾り出してくれました。お店の後継者が取り上げられて「本音は寂しいよね」と呟きが聞こえました。
若い頃とは違って毎日、工房に立つことが出来なくなり、店頭にお菓子が並ばないこともあります。元気な顔をしていますが、喉、リンパ、腸閉塞の手術を計5回繰り返し決して体調は万全ではありません。でも名人とも言える東さんが作った和菓子はおいしいと評判です。
工房を見学させていただきました。年季が入った機材と道具に囲まれていて、ここで何十年もの間、数え切れないほどの和菓子を皆さんに提供してきた様子が浮かんできます。
美味しさを提供するのは食べる人に幸せを提供することです。他人に満足を与えてきた人生は尊敬に値するものです。 |
(東久次さん) |
(自分で制作した和菓子の型枠) |
昭和24年から使用している道具箱からは、自分で作成した和菓子の表面に模様を刻む型枠を取り出してくれました。寿の字や家紋などの型枠からは和菓子作りの歴史を感じさせられ、積み重ねてきた伝統、技術の凄さを感じるものでした。
和菓子作りに賭けた人生です。命を込めた、人生の思いの詰まった手作りの和菓子ですから、それに見合った対価をお支払いしないと、申し訳なくて食する訳にはいきません。 機械による大量生産されたものと、長年和菓子作りに取り組み築き上げた技術と、一つひとつに心を込めたものとでは、食べる人に分け与えてくれるものは違ってくると思いたいのです。 |
心が宿った作品には向かい合う相手に与えるものがあります。私達は作者が発するメッセージを受け取ることが出来ます。優れた作品は心がそれを感じる瞬間を与えてくれます。
残念なことは技術の継承者がいないことです。このままでは一代限りの技術となり、途絶えてしまう可能性があるのは残念なことです。
「今から後継者は育てられないからねぇ」自分の経験と知識、そして技術を伝えられる後継者がいることが最大の幸福であることを理解出来るものです。
後継者を捜し自分の習得したものを継承するのは時間と困難を伴うものです。でもその苦労は幸せにつながる苦労なのです。自分だけで終わらせてしまう、そんなもったいないことはありませんし、残念なことはありません。いつか年を重ねたら、地位や名誉(得たいとも思いませんし、望んでも得られるものではありませんが)に固執しないで後継者に道を譲る判断をしたいものです。それが幸せだと気づいた人なら、自分一代だけの幸せよりも次につながる幸せを選択する筈です。
自分と社会の幸せの総和を大きくするのはそういうことです。
【居宅生活支援費制度】
居宅生活支援費制度は平成15年4月1日にスタートしています。障害者を支援するための法律が出来大一歩を踏み出したのです。例え制度上の不備があっても、障害者福祉に向けて第一歩を踏み出したことは評価されるべきものです。
スタート時期が決定していたため、各地方自治体の障害者福祉担当箇所は短期間で各家庭を訪問し大変な苦労があったと聞いています。
何しろ該当者全員に面談する必要があり、障害の等級づけを行う必要かあったからです。前例がなかったため不備はあったかも知れませんが、スタートさせたことは意味のあるものです。
さて1年後の平成16年、検証結果から支援費認定の更新に入りました。平成16年10月、再調査を行い積み上げた経験からガイドラインを策定し、認定の精度は高まっていきました。地方自治体の役割としてガイドラインに沿った一律の評価と、調査員による面談の結果を踏まえた評価を加えて障害の等級を決定していきます。色々な考え方がありますが、原理原則を元に恣意的要素を加えない程度の裁量があった方が人間的な決定が出来るものと思っています。障害者は100人100色ですから、同じ障害一級でも同一で論じることが出来ないからです。ただどこかで線引きも必要ですから、ガイドラインに沿った審査が基本であることは疑う余地はありません。
支援費制度は障害者の自立を促すもので、そのためのサポートするための制度であることが大原則です。家族の休息や家族の就労支援のために支給されるべき支援費ではありませんから、主旨を捻じ曲げるような判断は出来るものではありません。あくまでも障害者自立のための支援費です。
さて議論すべきなのは、自立したくても自立出来ない方々に対する支援費についてです。
支援費の主旨からすると自立するためのリハビリなどの努力に対する助成ですから、全身麻酔などの症状がある場合、リハビリに取り組めと言うのは過酷なものになります。画一的に判断すれば、自立するための活動を行っていないから支援費を減額することになりますが、それで良いとは思えません。働きたくても働けない人がいますし、自立するためのリハビリに取り組みたくても取り組めない人もいるのです。
実利支援のための支援費制度ですが、決して自立出来ない人に対して保障を供与することも福祉国家として考えるべきことです。国家は障害者の365日24時間を守るべき責務があると叫ぶ人もいますが、それは社会福祉の有資格者である行政機関の調査員が判断すべきことで行き過ぎだと判断されますが、本当に支援を必要としている人に対しては検討の余地を残して欲しいものです。
声なき人、声を発するのが弱くて決して届かない人がいることを分かった上で行政判断するのと、画一的な判断を下すのとでは全く違います。例え調査結果に基づく支援費支給額が同じであったとしても、心ある判断をしてくれた場合は周囲の支援活動が違って来ます。その場合、励ましの訪問やチャリティイベント開催などの機運醸成が期待出てきます。
行政機関の福祉分野に携わっている方々の苦労と精神的タフさには尊敬すべきものがあります。それを分かった上で言いたいのは、自分の判断で困難な境遇にいる方に対しては心ある応対をして欲しいというものです。ガイドラインと福祉のプロとしての嗅覚、どちらも大切にして下さい。数値で表すことの出来ない感覚がある筈ですから。