平成18年 9月 1日(金) 日本再生第328号

平成18年7月和歌山市長選挙を総括する
和歌山市議会議員    片桐 章浩

争点なき選挙戦で現職圧勝
 平成18年7月30日に施行された和歌山市長選挙は即日開票の結果、現職の大橋建一氏が大差で再選を果たしました。立候補したのは、現職の大橋建一氏、前和歌山県議の宇治田栄蔵氏、前県議の山下大輔氏、元市長で前市議会議員の旅田卓宗氏、社会保険労務士の永長敏昭氏、不動産賃貸業の山路由紀氏の6人でした。和歌山市長選挙としては戦後最多の6人が立った選挙戦になりました。

 現職市長に対して5人もの候補者が立候補した背景には、(1)和歌山市の経済が低迷している状況から脱するための施策が示されていないこと。(2)人口減少や少子高齢化の課題に対策が講じられていないこと。(3)団塊の世代の多くが社会の第一線から退く時期に差し掛かっていることから、思い切った行政改革を実行するために最大で最後の機会となること。(4)全政党が自主投票となったことから候補者がそれぞれの主張を訴えられる契機となったこと。などの理由があったと考えています。現状維持ではなく、将来の展望を語ろうとする候補者が多数現れたことは、和歌山市にとって好ましものだったと考えています。

 特徴的なことは、前回の市長選で大橋氏が選挙協力を受けた宇治田氏、山下氏が対立候補となったこと、元市長の旅田氏も返り咲きを目指したことです。和歌山市長選挙の結果は次の通りでした。

71,112票 大橋 建一 60 無現
24,297票 宇治田栄蔵 56 無新            
23,919票 山下 大輔 38 無新            
14,279票 旅田 卓宗 61 無元            
1,956票 永長 敏昭 57 無新            
882票 山路 由紀 71 無新 (無効2,032票)

 以上のように和歌山市長選の結果、現職の大橋市長が二位以下の候補者に大差をつけて再選を果たしました。これは順当なのか予想外なのか、判断が難しいところですが、この結果から考えられることを示します。
 ひとつは、和歌山市という地方自治体の運営に安定を求める人が多かったことです。例えば平成18年の今年、北海道夕張市が累積赤字のため自主再建を残念し、財政再建団体へ転落しています。和歌山市の平成16年度決算は赤字だったことなどから、放漫経営を行うと、たちまち財政再建団体に転落する危険性があるため、堅実で財政再建の取り組みに実績を残して来た大橋市長の政策が評価されたとも考えられます。堅実な市政運営を求める方が多かったのが一つです。

 次に大きな争点がなかったことがあります。現在の和歌山市には様々な問題点はありますが、市の命運を左右するような大きな争点がありませんでした。
 先に行われた滋賀県知事選と比較すると争点がないことが明らかです。滋賀県知事選挙では、栗東に新幹線の新駅を設置することが最大の争点でしたが、他にも産業廃棄物処理場や治水の問題など大きな争点がありました。 
 それらの是非が争点となっていたため、盛り上がりがあったのですが、和歌山市の場合、巨額の予算が伴う課題もなく、市民の皆さんの過半数が関心のある争点もありませんでした。この争点なき闘いが盛り上がりを欠いた要因です。
 そのため新人候補は争点を明確にすることが難しく、違いを訴えられなかったのです。加えて全員が行財政改革の必要性を訴えたことから、現職市長として実績を残してきた大橋市長が評価されたようです。
 候補者はそれぞれの政策を訴えましたが、違いを出すまでには至らなかったと私は考えています。

現職支持の広がりはどこにあったか
 他にもいくつか挙げてみます。
 現職候補者の陣営には女性がたくさん詰めかけていました。女性の強力な応援があったことも強みでした。今回、女性の方が数ポイント男性よりも投票に行った人が多かったのです。投票率が44.42%と戦後最低だっただけに、数ポイントの女性票が動いたことが大きかったのです。

 興味深いのは、ある大手企業に有力候補と言われた大橋氏、宇治田氏、山下氏の各候補が挨拶に訪れた時のことです。この企業幹部の方が感じたことを話してくれました。
 それはある候補者が職場で挨拶をした際に、集った80人の従業員の中に一人も顔見知りがいなかったというものです。20年近くも和歌山市で議員をしていたのに、地域の有力企業の一つである会社に一人も知り合いがいないことに疑問を抱き、この候補者には応援する人の拡がりがないことを感じたそうです。

 20年も議員をしているなら、有力企業の従業員の中で、数人程度は知っているのが普通です。市長を目指すのであれば、支持者の拡大が不可欠ですが、日常活動の中でそれを怠っていたことを表す出来事でした。市長選を目指すだけの日頃からの活動をしていなかったことなど、目的意識の欠如がストレートに結果として表れました。

 また現職の大橋候補は、「市の財政再建や貴志川線存続、市内事業者による旧丸正ビル跡買収、住友金属和歌山製鉄所の設備投資計画などは私が市長だからできた」と実績を強調し、現在行っている市政の継続を訴えたことも強みです。
 政策は総花的ですが、安全、優しさ、元気、快適、教育など市民の関心ごとを市の基本方針に掲げたこと、課題となっていた中心市街地活性化や防災体制の整備、企業誘致の促進、市の保有する直川用地への阪和自動車道のインターチェンジ設置などを盛り込んだことが具体的であったと、私が聞いた中では他の候補者との違いとして高く評価されていました。

 また全政党が自主投票だったのですが、労働団体の連合和歌山や県歯科医師連盟、農政連和歌山支部など180を超える団体の推薦を受けるなど組織力で選挙戦を優位に進めたこと。それ以上に効果的だったのは、市内の若手経営者達が現職への支援を呼びかけたことが、世代と職種を超え幅広く支持を集めた理由です。
 これらの要因が絡み合って大差で現職の大橋候補の再選につながったものだと考えています。

戦後最低の投票率に思うこと
 ある程度の大きな数が結集した民意は、その時代、その地域において常に正しいと考えるべきです。今回は継続的な安定を求めるのが和歌山市の民意だったと捉えることが絶対的に正解で、抜本的な改革を訴える時期ではないことを示していると考えるべきです。

 ただ、問題となるのは市長選の投票率が44.12%で戦後最低となったことです。当日有権者数は31万1,769人(男性14万6,068人、女性16万5,701人)でした。
 和歌山市長選挙の投票率は1986年に66.59%でしたが、それ以降下がり続け、1999年、当時の旅田市長の汚職事件による出直し選では57.72%に上昇しています。しかし、旅田氏の辞職に伴う2002年の前回出直し市長選挙は、度重なる不祥事による市政離れと夏休み最後の日曜日になったことなどが影響し、戦後2番目に低い48.16%でした。今回はそれさえも下回りました。

 市長選告示前や告示日以降でもタクシーや飲食店で市長選の話題を出しても誰も関心がなく、投票日さえ知らない人が多いことから低調な空気を感じていましたが、実際市長選への関心の薄いままで終始しました。

 私が聞き取った結果から、投票に関心を持てなかった理由は次のようなものがあります。

誰が市長になっても変わらないと言う気持ちがあること。 
税制改革、介護保険の負担増により政治への無関心が高まっていることが、地方自治にも影響していたこと。
争点がないこと。和歌山市内での医療用産業廃棄物処理場の建設は争点になり得る問題ですが、市長に裁量がないため建設を中止するのか実行するのかが争点にならなかったこと。
誰が市長中小企業や自営業者にとっては、経済的環境の厳しさが解消されていない中、とても市長選まで関心が行かなかったこと、などです。になっても変わらないと言う気持ちがあること。 

 ここで注意すべきなのは、これから4年間和歌山市政の舵取りを任せるトップの選択に関心がなく、投票行為を棄権することは極めて危険なことだということです。投票率を下げることは、投票に行く人の一票の重みが増すことにつながります。もし有権者の人が全員投票に行くと、一人が行使する一票は一票の重みとなります。ところが有権者の二人に一人が投票に行った場合、投票に行った人の重みは二票分となります。投票とは意思表示に他なりませんから、意思表示を行った人が少なくなればなる程、投票した人の意思が政治に反映されるのです。投票に行かないで投票率を下げる行為は自分の意思表示をしないことですから、結果として投票に行った人の投票の価値を高めることになります。

 今回の例で示します。有権者31万1,769人、投票率44.12%、その内52.1%の得票を得た候補者が当選しました。候補者に投票した人は136,445万人、当選者の得票は71,112票となりますから、投票結果からすると他の候補者全員の得票数を足しても届かない堂々とした当選です。
 しかし全有権者(31万1,769人)からすれば71,112万人ですから22,8%となります。有権者の22.8%が信任しただけなのに、市民のトップになってしまうのです。棄権した人が半数以上もいたことで22.8%の人達の意思が全体の意思表示として決定されますから、大橋候補に投票した一人の一票の価値は4倍以上になっていることが分かります。

 自分が棄権したことにより、投票を行った人の一票の価値を増してあげたことになっているのです。つまり支持基盤のしっかりした候補者に有利に働くため、投票率が低ければ保守的に作用し、まちを変えることは難しくなることを意味します。この結果からも、まちを変える力は普段関心の低い人達が行動を起こすこと以外に有り得ないことが分かります。
 プロスポーツでは、勝率50%を超えて初めて優勝を目指せる位置にいると言えます。勝率20%台で優勝することは有り得ないどころか最下位に近い数字なのです。プロスポーツと比較するのは全く土俵が違いますから一概には言えないことを承知しながら、それでも分かり易く比較するために数字を引用しましたが、20%の得票率で私たちのまちの行く先を託すことが果たして適切なのか否か、問題とは言えませんが疑問の残るところです。
 勿論、投票の棄権は自らの権利を放棄するもので、意思表示した人に非はありませんから、棄権した人を救済する必要はありません。ですが最低限、白票を投じるなど何らかの意思表示をして欲しいものです。
 投票を棄権することは、様々な不利益を受けることに気付くべきです。意思表示の機会を放棄すること。投票した人の一票の価値を高めていること。一般的に危険な行為である白紙委任に等しいこと。次の意思表示の機会まで4年間も待たなくてはならないこと、などです。貴重な個人の権利が失われることは避けたいものです。

 私たち和歌山市民の意識がこのままでは、市民参加、民意の反映などの言葉が陳腐化してしまう恐れがあります。最低限、地方自治に対して自分なりの意思表示を行うことの大切さから始める必要性を感じます。

 また各候補者とも改革を前提にした施策を訴えていましたが、改革と言う言葉は小泉総理が使い古してしまった言葉であり、全国どこでも首長や議員候補者は誰でも使用しているものなので、既に新鮮さがありませんでした。 
 これからの取り組みに対しては、「改革」のとう言葉では他との違いを引き出せないばかりか、行き過ぎた格差社会や地域間格差の問題を抱えだしている中で、日本文化に基づいているしくみを改革することが本当に進むべき道なのか、疑問も感じる空気があり、(改革という言葉を)使用することは難しくなっています。
 格差社会と言われ出した現状を分析することなく改革を加速させることは、地域によって必ずしも受け入れられないかも知れません。今では改革のあり方も問うべき課題になった感があります。

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