平成17年 2月25日(金) 自治レポート第7号掲載論文

新しい日本の国家像からの考察
和歌山市議会議員    片桐章浩

 世界はグローバルスタンダードという名の下、アメリカ型経済システムに巻き込まれています。日本も例外ではなく、今までの日本型経済システムは崩壊寸前の状態です。政治も政府もアメリカ追従で果たして日本は独立国なのかという疑問すら感じる昨今の状況なのは憂慮すべきです。

 元来わが国は、共生国家としての独自性を発揮してきたのは多くの有識者から指摘されています。日本は模倣と自己化という手法を通じて日本文化を形成してきましたが、それは「日本人の独自性」として発言すれば良いのです。今日本に求められる役割は、世界を席捲しているアメリカ型の対決・征服・覇権モデルから転換を図ることにあります。
 転換するのは、発展よりも持続可能性を追求する国同士の共生、自然や文化との共生への方向です。お互いに異質を認め合わないと、世界が今以上に進展する可能性は狭められるのです。お互いに自他の違いを認め合い棲み分けつつ、時に補完しあっていくことを人体に例えると、国家が一体化していくのは「すべての細胞が同一化」することになります。

 「癌細胞は、健康細胞と比べて増殖力は強いものの、やがては本体を衰弱化され共倒れとなるだけ」(注1)との指摘があるように、同一化は環境変化に対応できなくなるのは生物学的にも必然です。それぞれの国の歴史を背景としたいくつかの文化が共存する社会を築くことが、世界を進展させることにつながります。アメリカが自分の進む方向に従わないものを認めないのであれば、やがては孤立または対立の構図となるのは当然のことです。
 20世紀が争いの世紀であったことからその反省を踏まえて、21世紀は共生の世紀に向かわせる必要があるため、新たなる対立は何としても避けたいと考えます。
 アメリカ型社会ともヨーロッパ型社会とも異なる社会システムを築いてきた日本だけが転換の舵取りを担えるのです。

 その日本が個人主義に走り社会の最低限のルールも守れなくなっていることから、共同体原理にいま一度視点を合わせる必要があります。なぜなら民主主義は社会的連帯を強化することに他ならないからです。権利には義務が伴うことを私達のルールとして協力に意識の中に定着させる必要があります。
 そのために、それにふさわしい政治システムと政治家の登場が待たれるばかりです。政治家には、自国の文化と歴史を正しく認識し誇りを持つことが求められます。その認識の下、企画力と表現力を有することが政治家としての能力です。既に市場主義の先端を走るアメリカや福祉国家を目指してきたスウェーデンなどは極端なシステムでもあり、世界の国々が目指すべき到達点でないことは明らかです。

 到達すべき社会はどのようなものか、正解を見つけることが出来ていない現在ですが、共生社会を築いてきた文化がある日本が、いくつかの社会システムを模倣し自己化を図ることで新しい国家のあるべき姿を描けるはずです。
 それを世界に向けて発信することが日本という国家が果たすべき役割であり、その役割は結局のところ私達が担うべき課題なのです。

 特に地方自治体の政治家は、今までのように住民と行政にもたれあうことを助長させたり仲介役を果たしているだけでは存在意義はありません。改革はいつの時代も地方から起こります。既存の価値観を是とする中心では改革の動きは起こりにくいたためです。そのため、日本が世界のリーダー役として活動するためには地方の改革、つまり地方議員がその役割をしっかりと認識し地方から国家を支える覚悟が必要です。

参考文献
注1 佐瀬昌盛(1999)、『新しい日本の国家像』、富士社会教育センター、157頁。

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