コラム
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2012/2/20
981    最後の闘い

これは書き残しておかなければなりません。肺炎で入院しているNさんのことです。お見舞いに行った時の笑顔の素晴らしさ。これが病人かと思うほどでした。水が流れるように何事も恐れることのない態度です。そしてこれまでに会った人が病室に来てくれた時に話をすることが何よりも嬉しい様子がありました。

平成24年1月29日。日赤病院での会話は忘れることはありません。その前日連絡がありました。「Nさんが日赤病院に入院しています。会いたいと話をしているようです。時間があればお見舞いに行ってあげて下さい」という連絡です。大丈夫だと思いましたが、これは今、絶対に行かなければ後悔すると思い、翌日、お見舞いに伺いました。

Nさんはとても痩せていましたが、顔色は良く、言葉もしっかりとしていました。ただ酸素吸入をするために入れ歯を外していたため言葉は不明瞭でしたが、全ての言葉が理解できました。心で会話をしていたような感覚がありました。

Nさんは「4年後には私はいないと思っています。私の一票がなくなりますが許して下さい。本当に選挙に行けなくなるのは残念で仕方ありません。次の選挙も絶対に頑張って下さい。もっともっと頑張ってくれることを心から期待しています。片桐さんのこれからを見られないのは残念で、残念で、許してくださいね」というベッドの中からの言葉に涙が出そうになりました。

自分の病状のことを心配するのではなくて、お見舞いに伺った私のことを心配してくれているのです。「4年後もNさんが元気になってくれていると思うので大丈夫ですよ。それよりも健康になって、また家に帰れることを目指しましょう。頑張ってとは言えませんが、健康に、元気になるようにしましょうね」と言葉を返すのがいっぱいでした。

「そろそろ順番が来たようなので心配はいりません」と話すNさんに対して、「順番なんか巡って来ていませんよ。早く良くなって家に帰りましょう」と答えました。

見回りに来た看護士さん達にも、Nさんは誇らしげに「県議会の片桐さんが来てくれているのです。嬉しいことです。私のところにまで来てくれているのです。応援してあげて下さい」と話し掛けてくれました。

また時々、自分の腕時計を見ては「忙しいのに私のところに居てはいけませんよ。もっと待ってくれている人がいると思いますから、他へ行ってあげて下さい。顔を見られただけで満足ですよ」と。私は「そんなことはありません。Nさんとの今の時間が大切な時間ですよ。今日はここでゆっくりしますから」。神様が与えてくれたように、嬉しいことに時間がゆったりと経過しました。

そして日赤病院に入院できるまでには色々な出来事がありました。家族は私に連絡をして何とかしてもらいたいと思ったのですが、Nさんは承知しませんでした。「絶対に片桐さんに頼んではいけない。個人的なことを頼んでそれに時間をかけてしまうと、県全体の仕事をする時間が制約されるから絶対に言ってはいけない。公の人に個人的な頼みごとをするような馬鹿をしてはいけない。私達が送り出した政治家に、そんな仕事をさせてはならないのです。そしてもう一つの理由があります。私が誰かを飛び越して入院できたとしたら、入院を待っている誰かが入院できなくなります。その結果、生命を落とすようなことになってはいけないのです。誰にも頼まないで順番を待つこと、それが大事なことなのです」と家族に話をしたのです。家族はその言葉を聞いて、「おじいちゃんの言う通りにしましょう」と確認しあって今日に至ったのです。

どこまでも謙虚で、どこまでも人のことを思っているのでしょうか。ベッドの上のNさんの笑顔を焼き付けました。絶対に忘れることはありません。そして生命を賭けて闘っているNさんの強さとやさしさ、そして託してくれた思いをしっかりと受け取らせてもらいました。

生きることの素晴らしさ。そして生きようとする素晴らしさ。そして覚悟を決めた勇ましさ。その姿の全てが教えで、そして思いやりでした。いつか人は最後の闘いをする時が訪れます。そして生きた証を刻むために今日を生きています。