コラム
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2012/1/11
955    黙して語らない

「大事なことはしゃべらないで口を閉ざすこと。それが事業において大切なことです」。そんな切り口で話をしてくれました。良くある場面として、一緒にいる人が誰かの噂話や悪口を言うことがあります。そんな時、一緒になって話に乗っかってしまったり、同意するように相槌を打つと、思わぬ展開になることがあります。

その噂話をした本人がどこかの場面で「あの人がこんな話をしていたよ」と言われることは珍しくない話です。言ってもいないことを言っていたように伝えられる。そして噂話を聞いただけなのに、自分が発信源と思われ、噂話の主人公の本人との関係が悪くなるのです。それだけなら良いのですが、今度は噂話を流されたと思ったその本人が、今度は悪口をいうのです。そうです。この場合、悪口を言った主人公は私になって、あちらこちらに伝わります。聞いただけ、頷いただけ、そして聞かれたことに答えただけなのに、噂話を発信した張本人として伝わってしまうことがあります。

その結果、どちらも不本意な結果になります。個人間の話は第三者に伝わらないようにすること。そして腹が立ったとしても、ぐっと堪えることが人間を大きくしてくれます。

大切なことは動じないこと、腹を立てないこと、そして寛大な心を持つことです。喧嘩両成敗という言葉があります。喧嘩とは意見が対立したことによる暴力や言葉の争いです。

戦国時代においては、今川氏の「今川仮名目録」では、「喧嘩におよぶ輩は理非を論ぜず双方とも死罪」「喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ・・とりあえず穏便に振る舞ったことは道理にしたがったと・・して罪を免ぜられるべき」と書かれているようですし、同時代の武田氏の「甲州法度之次第」には、「喧嘩はどの様な理由があろうと処罰する。ただし、喧嘩を仕掛けられても、我慢した者は処罰しない」と書かれているようです。

喧嘩をした者はどちらが善悪かは関係なく、喧嘩の当事者両方が痛み分けることで問題解決を図ること、それが喧嘩両成敗です。両者に何かの問題があったことから意見の対立が生まれるものですから、喧嘩をした場合、そのまま分かれるのではなくて素直に話をすることが何よりも大事なことなのです。

喧嘩でなくとも意見が対立、見解が相違した場合、自分が正しいと思うばかりに、相手を批判することがありますが、それに関しても黙して語らずの態度を取りたいところです。

批判は批判を生み、対立を招きます。何も良いことはないのです。対立は対立を呼び寄せますが、信頼は信頼を呼び寄せてくれます。このように自分が取った態度の通りの結果が得られるのです。やるべきことは、腹が立っても言葉にしないことです。言葉にしないでぐっと堪えること。それが優れた人物になるための修行です。発展途上の人はその域に達するとこは難しいものですが、良い人格を形成したければ堪えることを学ばなければなりません。

発した言葉は回り回って跳ね返ってくるものです。称えれば称えられますし、非難すれば非難されます。相手を称える言葉は発するべきですが、非難したくてもぐっと堪えて黙して語らないこと。それが人格形成された大人というものです。