コラム
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2011/12/28
951    心配りの教室

パソコン教室を主宰しているSさんの講義は分かり易いと評判があります。主に高齢者の方がパソコンを楽しめるように教えているため、難しいことではなくて丁寧にゆっくりと講義を進めています。そのお陰で、Sさんのクラスだけが一人の生徒も教室を辞めないで今も続いているのです。続けられるためには理由があるのです。講師は生徒の反応や心の状態を把握して、早く先に進むよりも教えたことを理解してくれたことを確認し、同じことを繰り返しながら進めることの大切さが分かります。

そこにもう一つの理由があります。個人的見解ですが、Sさんの気持ちが生徒に伝わっていることも続いている理由だと思います。

それは授業が終わり、生徒が帰った後、Sさんは教室のトイレ掃除を毎回行っているのです。生徒にきれいなトイレを使ってもらいたいと思う気持ちがあるからです。一回当たり約2時間の授業ですからトイレを使用する機会は少ないかも知れませんが、それでも自ら掃除を行っています。やがて生徒の間で噂が広がりました。「このトイレはS先生が掃除をしてくれているようだ」というものです。誰にも話していないことですが、いつもトイレがきれいに保たれていることから気づいた生徒がいるのです。そのトイレ掃除をしている気持ちが生徒に伝わり、毎回、生徒は楽しみにパソコン教室に習いに来ていると思います。辞めることを考えることなどしないと思います。見えない場所をきれいにすることがどれだけ大事なことなのか分かります。見えない場所をきれいにすることは自分の心がきれいでいる必要があります。そしてきれいな心の持ち主のところにはきれいな心の持ち主が集まります。そんな温かいパソコン教室がここにあるのです。

今の世の中、言うだけでやらない人が多いのです。そしてやらない人がやっている人を批判します。自分は第三者なのに、世の中の出来事と格闘している人を批判する信じられない人も存在しているのです。「あの人を登用しては駄目だ」→では誰を登用すれば良いのか示して欲しいところです。「TPPに参加するのはおかしい」→では反対する理由を示して説明して欲しいものです。「何もやってないではないか」→どれだけの行動をしているのか知っているのでしょうか。何もしていない根拠を示して欲しいものです。「トイレにゴミが落ちている」→みんなが使用するトイレです。気づいた人が拾ったら多くの人が助かります。

このように批判は簡単ですが、代案やその根拠を示すことは難しいことなのです。実践している人は理由や根拠があって行動していますから、安全地帯にいて現場で行動している人を批判することは避けたいものです。Sさんのパソコン教室は批判する教室ではなくて、心配りがあり気づきのある教室です。先生が生徒の心を読み親切にしている、生徒が先生に感謝する関係があります。批判ではなく心の通い合う関係でつきあいをしたいものです。