コラム
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2011/12/13
941    寺社再建

こんな話を聞きました。比叡山延暦寺総本山で使われている太い柱はケヤキです。76本のケヤキは直径67センチ、高さ8.4メートルで統一されています。しかも原木は直径が2倍以上の巨木である可能性があったようです。

巨木を4分割して中心を含まない4本の柱を作り総本山を支える柱にしているのです。そのケヤキの耐用年数は800年と言われています。現在の総本山は1642年に再建されたものですから、後400年は持ちます。しかしケヤキの巨木は国内にはなく、400年後に柱として使えるケヤキが確保できるかどうか分からないのです。

そこで比叡山延暦寺では、比叡山内にケヤキを植えて育てています。直径50センチのケヤキに育つまでには200年から400年の年月が必要ですから、今から植林しても400年後の柱として利用できるかどうか判らないのです。

それでも400年先を見込んで植林していることは素晴らしいことです。後の時代のことは後の時代の人が考えるのではなくて、現在生きている私達が出来る限りの手当てをしておくことが大切な心であり行動です。

400年先のことを考えて日々生きている人は多分いません。それだけにこのニュースを聞いた時は新鮮な感じがしました。今を生きているだけではなくて400年先を見据えて生きているからです。今生きている人の中で400年先も生きている人がいる可能性は間違いなくゼロです。それでも比叡山延暦寺は、400年後の世界のことを考えた行動をしているのです。

「先人木を植え、後人涼を楽しむ」という言葉があります。今を生きている私達は、先人が築いてくれた社会のしくみと科学技術などを活用して快適な暮らしを送っています。先人が植えてくれた木の恵みを受けて生活しているのです。快適な生活の中にいると、後人のために木を植えることを忘れてしまいます。先人が遥か遠い未来の私達のために木を植えてくれたように、今度は先人となる私達が未だ見ぬ後人のために今から木を植える必要があるのです。そうして人としての思いを未来に託せますし、次の世代に何かを残すという人として生きている役割の一つを果たせるのです。

個人としては、さすがに400年先のことを予測して何かを残すすべを知りませんが、せめて顔の見えている子ども達のために大人として何かを残したいものです。ケヤキの木を今植えても、今を生きている子ども達には何の役にも立ちません。でも今の大人である私達が何かをすれば、今の子ども達が大人になった時に役立つものであるかも知れません。

人によって後人に残すものは違いますが、今の時代に木を植えられるのは私達です。生き様を残しても良いのです。会社の仕事のやり方を残しても良いのです。日記や文章を残しても良いのです。わが家の食事の作り方や家訓でも良いのです。

自分だけが楽しんで終えてしまうような生き方は寂しいものです。できるならば、小さくても社会のために尽くしたことが誰か記憶に残り、そして大人としての正しい生き方を子どもに残したいものです。40年後に自分の存在が誰かの中で生き続けられるように。