コラム
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2011/11/28
930    死を迎える意味

生きていることの不思議、死ぬことの不思議という歌があります。生かされていることの不思議、生あるものが命を失う不思議。Mさんに死を迎える意味を教えてもらいました。

人は死に直面すると、神様にお願いすることや、天国に行けますようにと願うことがあります。その気持ちが人として避けることのできない死に対する意味なのです。人生の最後に死が待っています。死とは自分でコントロールできない恐ろしいもので、死の次にあるものに畏怖するからこそ人は善行を心掛けるのです。もし死ねば何もかもなくなり終わるものだと達観している人がいれば、人は思うままに生きる選択を行い善行は疎かになります。良い行いをしていれば次の世界は天国に行けると思うから、人は現世で善行を重ねているのかも知れません。

人としてしてはいけない行為を犯罪といい、罪を犯した人には刑罰があります。刑罰の意味は人を更正させることにありますが、更正とは人としての心を取り戻させることなのです。例えば人を殺しても何も思わない犯罪者がいるとします。死刑を宣告されても、人を殺めたことを悪いとは思わないで平気でいたとします。死刑に何の意味も宿りません。人の気持ちを持たない人に罪による死が訪れても、人としての心がないのですから人が死に向かい合うことの意味を悟りません。死刑の意味は、「何ということをしてしまったのか」と悔い改めることによって、人としての心を取り戻すことなのです。人として人の道を知り、人の心を取り戻してから死を迎えることに意味があるのです。人として死ななければ、人として生きた意味がないのです。

人にとって死は怖いものですから、人は寿命ある限り真剣に生きてこの世に尽くすことに頑張ります。その人生の途中で人の手によって殺められ生命を失うことになった人は、死にたくないという未練を持ったままこの世を去るのです。人としての心を持っている人が人生に未練を残し、そしてその瞬間、恐ろしい死と向かい合うのです。

ところが人を殺めた人は平気で、人の心をもたないままで死刑になってしまうと、人として死ねないのです。人として死ねないのであれば人生に未練はありませんし、生まれ変わりの可能性もありません。人として生まれた限り、そんな心で生きてもらっては困るのです。人は最も優れた存在ともいえる万物の霊長です。そんな優れた人が心を持ち合わせていないなんて考えられないのです。せめて間違いを犯した時は悔い改める、そして後悔しながら死を迎える苦しみと対応することで人の心を取り戻せるのです。人の心を取り戻してから死に向かうことが人として生きることなのです。残酷なように思いますが、人としての心を取り戻さないでこの世を去ることには何の意味もありませんから、その生き方しか知らない方が残酷なのです。

人として生きて死を迎えることは、後世に行けるかも知れないのです。生きることが死につながっているのではあれば、死は次の生につながっているかも知れません。人は生まれ人の心を持って人間として生きます。そして人の心を持って死に至るべきです。最後に最も恐ろしい死が待っている人生だから、善の心が悪に優っているのです。