コラム
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2011/11/24
929    誇りと自信

日本人は誇りを忘れていないでしょうか。溢れる自信を持っているのでしょうか。平成23年は大災害からの復興で力を合わせる姿がありますが、外国との関係を報道で知る限りにおいて誇りも自信もないように感じます。特にリーダーには、民を引っ張っていく躍動感を持って欲しいのです。

さて敬愛する先輩から、私達日本人の先人は外国からどのように見られていたかを知る言葉を紹介してくれました。

ポール・クローデル氏(大正末期〜昭和初頭、駐日フランス大使)

「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ。」

これは昭和18年パリでの発言です。

もうひとりの言葉を紹介します。

モース(米国物理学者。大森貝塚を発見した人物)

「日本に数ヶ月も滞在していると、どんな外国人でも自分の国では道徳的教訓として重荷になっている善徳や品性を日本人が生まれながらにして持っていることに気づく。最も貧しい人々でさえ持っている。」

これは明治初年に来日した時の言葉です。

明治時代から大正、昭和に生きた日本人は、外国の優れた人物から尊敬されていたのです。しかも優秀な日本人だけが尊敬されていたのではなくて、全ての日本人が尊敬される対象になっていたのです。日本人が尊敬されるということは日本国が尊敬されていたことを示しています。

その時代のことは知りませんが、今よりも貧しくて生きることに懸命な時代であったと推測できます。それでも生きる希望を持っていたのです。民主主義の未熟な時代ですから、その当時の生きる希望とは、自分が豊になることよりも国家が豊になるために懸命に働いて貢献しようと思う気持ちだったと思うのです。個人を犠牲にしてでもやり遂げたいものは、日本という新しい国を作りあげること。それは子孫が世界の国から尊敬されるようになり、その結果、豊な生活ができるようになる礎を築きたかったと思うのです。

そんな大きな思いと行動が外国から尊敬される日本人として映ったのです。今を生きているのではなくて、自分がいなくなった先の未来を生きていたのです。死をも恐れない気概は、今未来を築いていることを心に持ち、それを実現させようと行動していたのです。

世界の常識では、貧しさは犯罪や乱れにつながります。しかし日本人は貧しくても高貴であったのです。世界の人々は善徳や品性を身に付けるのに苦労しているのですが、日本人は生まれながらにして善徳と品性を持っているのです。

こんな素晴らしい民族は他にありません。日本が世界をリードするようになれば、貧困ですら高貴に変えられるのです。善徳と品性が世界の共通語になるのです。平成を生きる日本人は先陣の気高さを忘れてはいけないのです。誇りと自信を持ちましょう。