コラム
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2011/11/4
916    言葉は行動

「あの高校だったら人生終わっているわな」。信じられない言葉が目前にいる男子高校生から発せられました。何を根拠にして、この発言になったのでしょうか。高校生であっても何の落ち度もない他の学校の高校生を馬鹿にすることは許されません。

思わず「何を根拠にして、その高校だったら人生が終わっているのか答えてみなさい」と話をしました。すると彼の表情には「何を怒っているのか」と顔が曇った感じがありました。

どれだけ勉強ができたとしても人として失格ですし、現代社会で通用する考え方ではありません。日頃からの言動を知っているだけに、この言葉だけではなく普段から人を見下した言葉を発していることに将来の不安を感じます。人は同僚との協調性、そして相手を信頼する気持ちを持っていること、一緒に仕事をしてくれていることに感謝すること、友人を騙さないこと裏切らないことなどの資質が必要です。そして人は持っている能力や、やりたい仕事は違うのですから、見下すような態度や言葉は出てくることは誤りです。言ったくらいでと言う人がいますが、思ったことが言葉となり、発せられた言葉は行動になっているのです。相手を傷つける行動をしているのですから、相手が傷ついたとしたら謝ってその発言を取り返すことは難しい問題です。

高校を卒業して仕事に就きたいと希望している学生がいます。早い時期から好きな分野の仕事があり、それを目指して勉強をしている学生は成功します。それに対して好きな仕事はなく、一部だと思いますが、ただ単に普通科に進学している学生は就きたい仕事がありませんから、勉強する意欲が感じられない場合があります。高校に入学した途端に成績が落ちるのは目標がなく、勉強に対する意欲がないからです。

19歳から社会に出て懸命に働こうと考えている高校生と、何となく高校生活を過ごして将来の展望を描けない高校生の、どちらが素晴らしい人生を歩むのかは明確です。意欲に欠ける高校生が、何を学んでいるか知りもしない他の高校生を見下すことは決してしてはならない行為です。

できた社会人なら高校で人を判断することはありません。高校で判断するのでなくて、その生徒の態度、礼儀、言葉で判断します。文教委員会に所属していることから、時々、県内の公立高校に行く機会があります。生徒と廊下ですれ違った場合、生徒から「こんにちは」と挨拶をしてくれる高校もありますし、こちらから挨拶をしても無反応な高校もあります。校内ですれ違う全ての生徒が挨拶をしてくれる気持ちの良い高校もあります。「こんにちは」の連発になりますが、誰とでも挨拶を交わすと気持ちの良いものです。

礼儀正しい高校の中に体育科を設置している学校があります。国体選手やオリンピック選手、世界選手権代表選手などを輩出している学校ですが、同校の校長先生は「うちの生徒はお客さんには挨拶をしてきますから」と聞いていましたが、本当に全ての生徒が挨拶をしてくれます。気持ちを込めて挨拶をする相手を見下すことはありません。挨拶をする行動から心が磨かれます。心無い言葉を発したその高校生は自分から挨拶をしません。心の中身は見えませんが態度や挨拶の仕方から内心が透けて見えます。言葉は考え方であり、内心であり、行動ですから人格が現れます。人生が終わりつつあるのは、相手のことを何も知らないのに見下す言葉を発する人です。今日も気持ちを込めた挨拶で人との関係を気持ちよくしたいものです。