コラム
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2011/10/31
913    仕事のレベル

外科医と懇談する機会がありました。長年にわたって医療で地域を支えてくれている方です。外科医が手術を執刀できるのは60歳までだと伺いました。集中力と勘が衰えてくるのが理由です。ですからその年齢を超えると、経験と技術を後輩に伝えることが仕事になります。人の命を守る外科医の世界では、経験と技術を継承する道が守られているのです。

これは人の命を守る仕事に携わっている世界では当たり前のことかも知れません。しかし直接人の命を守る仕事ではない分野では、自分の価値を保つために経験と技術を伝えない場面にも時々出会います。永久にこの世界にいられるのであればそれで良いのですが、やがて世代交代の時期が訪れます。新陳代謝のない世界は時代から遅れることになりますから、素晴らしい経験と技術を持っている人は、それらを後輩に伝えて欲しいところです。

このドクターは次に伝えること、そして次の世代のために医療への投資を行っています。自分が執刀することがないのに、若い医師のために最新の医療機器を導入していますし、これからの地域医療への抱負も持っています。そのために借金をしてでも医療設備を充実させたいと話してくれました。

この先生が手術で大切なことを教えてくれました。手術をするためには、例えば10の知識と経験が必要だとします。その病気を治すための知識と技術が10のレベルであれば、形の上では手術をすることができます。しかしそれでは駄目だというのです。10のレベルの手術を行うためには50程度の知識と技術レベルが必要なのです。つまり50の手術の腕を保有しておかないと、予期せぬ事態に遭遇した場合や勘が働かない場合に対処できないからです。物事には不測の事態は付き物です。想定通りに、思っている通りに物事が進むことは少ないのです。手術の場合も同じで、事前に手術の手順を予測して、そしてチームで十分に進め方を確認するなどの準備を行います。慎重の上にも慎重を重ねてから手術をするのですが、それでも不測の事態があります。レベル10の腕だと10を越える事態に遭遇したら対応できないのです。知識と技術の余裕や幅といったものが必要なのです。

助手時代の若い時の話を聞かせてくれました。首筋の切開手術の時、白い神経が見えました。ここは傷つけてはいけない箇所だと医師なら分かる部分なのですが、担当医はそこにメスを当てようとしたのです。助手を務めていた先生は、咄嗟に「先生、そこは駄目です」と制したのです。担当医は当然そのことを分かっていたのです。手術の時間の長さにも因って集中力が低下していたかも知れませんし、不注意だったのか見落としていたのか分かりませんが、とにかく危ない場面だったので助手として止めたのです。

このように十分な知識と経験を有している医師でさえ不測の事態が訪れるのです。手術レベルにかなりの余裕を持っておくことが、外科医の場合は必須条件なのです。

多くの場合、人の生命を左右する場面に遭遇する機会はありませんが、知識と技術に余裕を持たせることは必要なことです。これから着手する仕事に関する知識や経験が十分でなければ、知識や経験を有している人とパートナーを組むことが必要です。10の実力の人が10の仕事をしようとしても上手く行かないのは明らかです。仕事は少し高いレベルのものを目指すべきですが、それは同じ原理です。50の実力のある人がレベル10の仕事を安全に遂行できますが、レベル20の仕事は安全にできない可能性がありますから主担当には不向きです。60の実力のある人がレベル20の仕事の主担当を担うべきなのです。

このように余裕を持たせる範囲内で担当する仕事レベルが決まるのです。50の実力の持つ人が20の仕事をしようと思えば、実力を60に向上させる必要があります。つまり高いレベルである20の仕事を目標に掲げたら知識と技術の研鑽に励み、まず実力を60に近づけてからパートナーの力を借りてレベル20の仕事を行うべきです。それが仕事のやり方です。くれぐれ実力の伴わない仕事を引き受けて、そこから実力を高めようとする行為はすべきではありません。仕事とは成果が求められるものですし、その結果に対してお金が動きます。予行演習ではないことを認識して、まずは実力を高め、余裕を持って仕事に取り掛かりたいものです。