コラム
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2011/9/8
884    担任の先生の教え

高校三年の時の担任の先生が岡崎先生です。今もお付合いをさせてもらっていますが、人生について話を聞かせてもらいました。生の声を再現してみますので、言葉は読み難いかも知れませんが、伝わるものがあると思います。

そんなもん、勉強なんて社会で役に立つケースはそれほどないわけ。数学や化学が仕事で役立った経験なんてそんなにないやろ。数学や化学を活かせるのは学者になった時だけや。いくら勉強してもしなくても、社会ではそれほど大きな差にならんわな。

それよりも教師が生徒に伝えなければならないことがあるんや。それは生きる方法やな。

人は一人で生きることはできない。だから、人と付き合う方法を知らなければならないんや。人と付き合うためには、自分が人から信頼される存在になること、これは大事。人から信頼されない人間は、生きる資格はない。まず自分が信頼されること。そこから全ては始まる。今度は人を見抜く目を養うことやな。人は自分と同じと違う存在やで。口先だけの人間か、信頼できる人間なのか見抜く力が必要や。それを教えるのが教師の役割なんや。

嘘を言ったり人を騙すことが平気な人間が世の中にはいっぱいおる。そんな人間はろくなヤツはおらんけど、そんなヤツが社会で大手を振っているのに対して、真面目な人間が馬鹿を見るようなことになっては駄目なんや。そやから信頼できる人間を見抜き、そんなヤツと付き合う、仕事ができるようにならんといかん。

仕事には仲間が必要、信頼を得て仕事をするには社会から信頼されている人間と付き合うことが必要。そんな眼力を身に付けること、誰が信頼できるのか見抜く力を持つこと、それ生きる力の根本で、教師が生徒に伝えることや。勉強ではなくて、一日として人を裏切らないこと、嘘をつかないこと、約束は守ることなど、大切なことを高校時代を過ごす生徒に伝えることが教師にとって大切なことやわ。そのためには教師が生徒から信頼される存在にならんとあかんわな。信頼されていないのに、自分は教師やから信頼されていると勘違いしている教師に勉強を教えられると、人を騙しても平気な大人になるわな。そんな生徒を作り出している教師は失格。

生徒に本気で語り掛け、間違ったことをした時は、愛の鞭を放つくらいが必要なことやけど、今の教師は拳を挙げられないので本気になれない環境にあるから、生徒は本当に大切なことを教えられないまま卒業することになっている。

社会で必要とされることが人間にとって大切なことや。社会から必要とされないヤツ、つまり周囲の人から信頼されないヤツは、社会で存在している意味はないわけ。誰が正しくて誰が正しくないのか見抜く力を持つこと。そして自分は社会の中で信頼される存在、つまり正しい存在でいることを学ぶのが高校時代。

どこまで伝えられたか分からないが、こうして今も集まっているということは信頼関係で結ばれているようやな。教師の仕事はものづくりと違って人づくりやから、何十年経たないと正しい教育をしてきたか分からないものやわ。ただ30年も経って、それぞれの道を歩いけていること、人前に出られることは、正しい人間として生きている証拠や。

人間は社会で生きていく限り信頼が大切。約束を守ること、人を騙さないこと、そして人を見抜く力を持つこと。30年経って言うのも何やけど、勉強よりも人との関係を大切にすることが教えたかったことやわ。