コラム
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2011/9/6
883    不眠不休

昭和39年12月。この月、島正博社長の睡眠時間は25時間だったそうです。月初めからは各日2時間の睡眠、12月24日から大晦日までは全く寝ないで会社経営に取り組んでいました。不眠不休の理由は伏せますが、会社最大の危機が訪れたのが昭和39年でした。大晦日の午後3時に必死の思いで取り組んだことの目処がつき、銀行に報告、年が明けた昭和40年1月3日にその成果があり、同月中頃に商品の展示会を行ったところ、多くの注文が入り会社経営を起動に乗せたのです。

それまでの年商は約1,500万円、それがその年以降30億円に跳ね上がり、昭和49年までの間、会社は150パーセントの成長を続け、現在に至る基盤を作り上げたのです。会社がどうなるか分からない事態に直面した時、島社長は悩んでいた訳ではないのです。どうしたら難局を乗り越えられるかを考え、行動に移していたのです。悩んでいただけでは難局は突破できなかったと思います。考えに考え、そして行動を起こしたことから、島社長を信頼してくれる人が助けを差し伸べてくれたのです。

その時、島社長は従業員の解雇は全く考えていませんでした。但し、従業員には新しい技術を使いこなせるだけの知識を得るために勉強することを薦めました。「勉強をするか会社を辞めるかの選択をして欲しい」。その言葉を従業員さんに向かって発しました。会社が一枚岩となり、ここからの飛躍につながるのです。

経営で大切にしているものが何か分かります。従業員、そして友人、知人、社会からの信頼です。人と信頼を大切にしてきたことが会社の発展につながったのです。

そして不思議な話も聞かせてもらいました。島社長は若い頃、占い師から36歳で死ぬと宣告されたことがあったのです。もしそうだとすれば、死ぬまでの時間を人の倍の価値のあるものにしようと決意し、寝る時間を削り、働く時間を増やしました。そして悩むよりも考えることに時間を充当したのです。仕事をしていて気がつくと37歳になっていました。

占い師に「36歳で死ななかったよ」と言うと、「そんなこと言いましたか」と返答があったそうです。言った本人は忘れていたのです。しかし人生を倍にするために考える時間を増やし、寝る時間を削ったことが人生の限られた時間を意識し、仕事を充実させることになったのです。

人の倍を生きてきた社長は、今も貪欲に人生を楽しんでいます。周囲から見ると誰も成しえなかったことを実現させてきたのですから人生を2倍楽しんだのではなくて、1000年分楽しんでいるように思います。島社長の実績は世紀を越えて生き残る技術ですし、通常1000年かかっても同じ成果をあげられる人はいないからです。

人と会って楽しい時間を共有すること、楽しい食事をいただくこと。これらが人生を倍以上に楽しいものにしてくれます。

最近の円高についても触れてくれました。1ドル90円と想定していたとして、75円の円高になったとします。約20パーセント円高になりますが、そのことを悲観していません。コスト減を10%、付加価値を高めて10%高く売れたら、20%の円高の差は解消できます。現状を悲観しても何も変わりません、それよりも現状に対応する方法を考えて実践すること。それが経営であり生きることなのです。

本や報道では学べないことが直接対話で学ぶことができます。一代で島精機株式会社を築き上げた経営者の軌跡を伝えてもらいました。伝えられた者が、この経験をどう活かすのか、それが学んだことを社会で活かすための宿題となります。