コラム
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2011/5/9
868    佐久間勉艇長と「Fukushima 50」

佐久間勉艇長のことを知っている人は少ないと思います。尊敬する先輩から、佐久間艇長のことを聞き、そして記録を読むことができました。

明治43年、第六号潜水艇が山口県の沖で潜行訓練をしていたのですが、潜水艇の欠陥により必死の作業にも関わらず佐久間艇長以下14名の乗員が命を落とした出来事がありました。潜水艦が沈んで行く時には、時間の経過と共に空気がなくなり酸欠となり死に至ります。死を迎えるに際して、冷静に、そして死の瞬間までそれぞれの持ち場で死ぬことはあり得ないそうです。殆どの場合、潜水艦の乗員が脱出用のハッチに群がるため、そこで折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死んでいる醜態を晒すようです。当時の帝国海軍関係者も最初は醜態を晒していることを心配していたと言います。ところが、実際にはほとんどの乗員は配置についたまま殉職していました。そして佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていたため、修身の教科書などで広く取り上げられ、イギリス海軍では教本になり、アメリカ国会議事堂には遺書の写しが陳列されたほどです。

引き上げられた六号艇の状況を検分した中佐は、絶叫し、男泣きに泣き崩れたと言います。その記録が「佐久間艇長の遺書」として現在に残されていますが、驚くことは殉職当時の佐久間艇長は31歳の若さだったことです。31歳にして死に直面して恐怖を乗り越えていた事実は信じられないことです。

遺書には報恩感謝の心を忘れないでお世話になった人の名前を記して死を迎えていたのです。「佐久間艇長の遺書」に孔子の言葉の引用があります。「人間として、一生、行わなければならないことは何ですか」の問いに対して、「それは思いやりである」と答えたそうです。この教えは人間として万古不易の指標であることが書かれていますが、他人に対する思いやりを求め続けることが人間の修行なのです。

2011年3月11日。東日本大震災が発生しました。福島第一原子力発電所で働いている約50人が現地にとどまり、福島第一原子力発電所の被害の拡大を防いでいます。日本ではなくて外国のマスコミが「Fukushima 50」と呼んで私達の知るところとなりました。

現代にも恐怖を乗り越えてわが国のために死を意識しない原子力発電所の艇長が存在しているのです。日本人の素晴らしい精神力と行動力を感じます。フクシマ・フィフティの生命を賭けた戦いは、佐久間艇長の精神を受け継ぐ私達日本人の誇りです。日本人の中に流れている崇高に精神を受け継ぐ者として、「Fukushima 50」の活動の記録を心に刻まなければなりません。

「佐久間艇長の遺書」にあるような報恩感謝の心を持ち続けている日本人として、この「Fukushima 50」の物語を語り続けたいものです。

不測の事態に直面した時、人間としての真価が問われます。日本人佐久間艇長の精神を受け継ぐ「Fukushima 50」の命を賭けた任務が、世界中で評価されることは日本人としての誇りです。命を賭けた任務の前では、何を言っても敵うものではありません。命を賭けた戦いをすることの気高さを感じられずには居られません。

世界の中に日本があることの誇りを持ち続けたいものです。

参考「佐久間艇長遺言」全文

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし。されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は天下の士はこれを誤り以って将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり。希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを。さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。

沈没の原因
瓦素林潜航の際過度深入せしため「スルイスバルブ」をしめんとせしも途中「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり。

沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え,電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。十五日午前十時沈没す。この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。
一、沈下と共に「メンタンク」を排水せり,灯消えゲージ見えざれども「メンタンク」は排水し終われるものと認む。電流は全く使用する能わず,電液は溢るも少々,海水は入らず「クロリン」ガス発生せず唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。

(后十一時四十五分司令塔の明りにて記す)

溢入の水に浸され乗員大部衣濕ふ。寒冷を感ず。
余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望む可からず,細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。世の人はこの失敗を以って或いは嘲笑するものあらん。されど我れは前言の誤りなきを確信す。
一、司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども十二時迄は底止して動かず,この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す,かかるときに困る故。幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり,満足に思ふ。
我れは常に家を出づれば死を期す。されば遺言状は既に「カラサキ」引出の中にあり(之れ但私事に関すること,いふ必要なし、田口、浅見兄よ之れを愚父に致されよ)

公遺言
謹んで陛下に白す 我部下の遺族をして窮するものなからしめ給はらんことを、我が念頭に懸るもの之あるのみ。
左の諸君に宜敷(順序不順)
斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜) 松村少佐(菊)
                     (小生の兄なり)
船越大佐
成田鋼太郎先生 生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常にクルシイ
瓦素林ヲブローアウトセシシ積モリナレドモ,ガソリンニヨウタ
中野大佐
十二時四十分なり