コラム
コラム
2011/1/13
861  簡単なこと

朝15分だけ早く起きて玄関の清掃をすると氣が良くなると聞きました。それは自分が玄関をきれいにしようと思う積極的な行動が氣を呼び寄せるからです。

ある人に「朝15分だけ早く起きて掃除をしたら運が拓けるから」と話をしたところ、「そんな簡単なこと誰でもできることでしょう」と、人を馬鹿にした冷ややかな反応がありました。

そこで「そう通りです。簡単に誰にでもできることですから、やって見て下さいね」と言ったところ、反応は無言でした。つまり出来ないと言うことです。

ここから大きなことが学べます。誰にでも出来る簡単なことであっても、自分で行動することは簡単ではないのです。誰にでも出来る簡単なことすら出来ない人は、誰もできないような仕事をやり遂げられる筈はないのです。大きな事業は誰にでも出来る簡単なことを継続して行い、その結果が積み重なって大きな仕事になっているのです。日々の努力を知らない人がその結果だけを見ると、突然に大きな仕事が完成しているように見えるのです。そこで言う台詞は決まっています。「運が良かっただけ」、または「誰にでも出来ること」だというその人を評価しない台詞です。

言葉を通り正当に評価すれば、運が良かったのは事実です。但し、運が良いのは日々の努力を継続してきた結果から来ているものです。そして誰にでも出来ることも事実です。誰にでも出来ることを毎日続けているだけだからです。

批判的な評価をする人は、運の良さと誰にでも出来ることの本当の姿を知らないのです。

では「やって見て下さいね」と言うと、誰ででも出来る筈のことができないのです。それができない人の下に運は寄ってきません。

自分ができないことを、「誰にでも出来ること」と切り捨ててはいけません。一日なら誰にでも出来ることでも二日、三日と続けることは誰にでも出来ることではなくなっているのです。玄関の掃除を一日するだけだったら、誰にでも出来るかも知れません。でも冬の寒い日や雨の日も、朝15分早起きして玄関の清掃をすることは中々難しいことです。それを継続していることは誰にでもできることではありませんし、それを365日も続けている人は誰も出来ないことをやり遂げているのです。

人は一日の単位でそのことを評価する傾向があります。玄関の清掃と聞いて、誰にでも出来ると答えるのは、一日だったら誰にでも出来るから続けることは簡単だと計算しているのです。でも「簡単だったらやって見て下さい」と指摘されると、その難しさに気付くのです。私達が行っている多くのことは簡単なことですが、継続することは誰にでも出来ない難しいことなのです。

ですから何かを継続している人のことを馬鹿にしたり、簡単なことをしているに過ぎないと見下すようなことはしたくないものです。簡単なことを続けることは簡単なことではないと知っている人や、簡単なことを続けることだけが結果を残せる唯一の方法であることを知っている人は、その発言だけで、付き合うに足りない人であることを見抜いてしまいます。何事も謙虚に継続している人が一番輝いているのです。その輝きを輝きと認めることで自分も光を受けることが出来ます。