コラム
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2010/11/4
845 運と努力

平成22年9月場所、横綱白鵬関が全勝優勝を果たして連勝記録を62に伸ばしました。4場所連続全勝優勝ですから、想像できない精神的圧力に打ち勝っての偉業だと思います。

ところで優勝インタビューが余りにも凄かったので残したくなりました。正確ではありませんが、次のような主旨だったと思います。

優勝できた理由について、「私は力も強くありませんし、運があっただけです。ただ運というものは、努力をしている人のところにやってくるものです。私は努力をしていますし、色々なことを勉強しています」という発言だと記憶しています。

凄いことを簡単に言えるのは、大相撲の歴史に残ることをやってのけたからです。歴史を作っている人だけが言える凄い言葉です。

事業を成すには運が必要なことは、歴史に名を残す実業家が話しています。そして大切な運を呼び込む力は努力なのです。努力とはプロジェクトなどに向かう単発的な努力を指すのではなくて、継続的な努力の行為を指します。毎日、それが何年も継続していることを努力と呼ぶのです。単発的なものは努力には達しないもので、務める力、務力に過ぎません。

継続する力が努力といいますし、何かを達成した人は努力を支えとした運を呼び込んでいます。運と努力は別物のように考えている人がいますが、決してそうではありません。「努力をしても運が悪かっただけ」だとか「運に支えられたから」などのコメントがあります。前者は、努力の量が不足していた結果ですし、後者は努力を人に見せるものではないとの考えからくる謙遜です。額面通りに捉えてはいけません。

私たち凡人は、人の運を羨むことがありますが、その影に潜んでいる努力のことが見えていないのです。身近な例として、学校の友達が受験に合格したのは「何故」と思うことがあります。あの子よりも私の方が勉強していたのにという気持ちがあるから、相手の努力を認めないのです。就職事情が厳しい中、あの人が良い会社に就職できた。それは運が良かったからだとか、有力者に頼んで入れてもらったからなど理由を探すことがあります。

それも誤りです。運があったのは、人が遊んでいる時も就職のための努力をしていたからなのです。

私たちは身近な人の努力を認めようとしないものです。それは自分より相手が優れていることを認めたくない気持ちがあるからです。また、誰からも素晴らしい人だと評価されている人を非難することはしません。それは努力をし続けている人を非難することは、自分の価値を下げることになるからです。例えば、横綱白鵬関の4場所連続の全勝連勝の感想を聞かれた時、「一人横綱だし相手が弱いから誰でも出来ることだからね。運があっただけですよね」などの感想を言うことは絶対にありません。相撲の素人がそんなことを言っても誰も取り合ってくれませんし、自分ができないことを達成した人を批判することは、自分の価値を下げることを知っているからです。

誰でも認める価値に関しては努力と運を認めます。それならば、身近なところで頑張って成果を出している人の運も横綱のそれと同じように、努力で支えられたものであることを認めたいものです。

努力をしている相手を認めることは、自分の価値も高めることになります。