コラム
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2010/6/28
824 命があって今がある
6月6日は二年前に亡くなった関良規君の命日です。この日は高校時代の同級生達が、関君の自宅に集まり命日を偲んでいます。早いものでニ年が経過しています。思い出話と皆さんの現状の報告を仏壇の前で話し合いました。そして動物病院開設時の写真も見せてもらいました。開設したのは15年前の平成7年8月31日のことでした。病院前の関君の姿や懐かしい待合室の光景が写真の中にありました。わずか15年前の出来事ですが、遠い記憶の中の存在になっています。
田辺市にあったこの動物病院は閉店されていますから、今は存在していません。が、関君が住まいにしていたホテルの一室は、現在も管理されています。経費を要しているものの思い出の場所であり、時々、遊びに赴いているようです。

病気が分かって手術をしたのが平成17年のことですが、その時、既に余命が少ないと宣告を受けていたと聞きました。残り少ない命をどう使うか、関君は相当悩みぬいたといいます。世界旅行に出掛ける選択もありましたし、好きなことをしてこの世界を楽しむ選択もありました。それで彼が下した決断は、命のある最後の瞬間まで仕事をするというものでした。結果はその通りの人生を過ごすことになるのですが、何故、仕事を選択したのか。その答えは簡単でした。
仕事が好きだからという答えでした。つまり限られた人生ですべきことは、好きなことを最後までやり抜くことなのです。好きなこと以外のことをするには、人生は短すぎます。
好きなことが仕事であれば、世界旅行をしているよりも仕事をしているほうが幸せなのです。好きなことを仕事にできている人生は素晴らしいことなのです。ですから私たちは仕事への不満を述べている時間はありませんし、仕事が楽しくないと感じている時間はありません。不満が充満していたり、楽しくない仕事をしているということは、好きなことをしていないということです。好きなことをしていない人生は、後で後悔を残すことになります。
好きなことを仕事にする。それができなければ仕事を好きになる。そんな選択を行いたいものです。6月6日、悲しい命日ですが、同級生達に人生を気づかせてくれる一日になりました。私たち同級生も年齢を重ねて人生を語れる年齢になっています。毎年何かに気づかされています。関君がこの輪の中にいても、いなくても人生を語るのに関係ありません。先に人生をやり終えた彼が、遠くから生き方を教えてくれているからです。
私たちのこれからがどうなるか分かりませんが、好きなことを仕事として遣り通すことだけは貫きたいと思います。それが素晴らしい人生の生き方だと教えてくれたからです。
命があることが、どれだけ奇跡のような出来事であるのか。それに気づくのは、命に限りがあると自分で分かった時だと思います。年齢を重ねた時、病気の宣告を受けた時、そして事故に遭遇した時などだと思いますが、平時は命の大切さに気づかないでいます。
命があって今があること。誰も逃れなれない大原則を今一度、刻みたいものです。