コラム
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2010/3/29
815 終業式
平成22年3月24日、朝、センバツ高校野球一回戦での一勝のお祝いのため向陽高校に立ち寄りました。この日は高校の終業式の日でした。向陽高校の体育館は新設していることから現在は使用できないため、放送室で板橋孝志校長先生の挨拶が読み上げられていました。偶然、その場面に立ち会えたことから、直ぐに立ち去ることは勿体無いので、放送室の近くで校長先生の挨拶を聞いていました。これが校長先生の人柄が表れる素晴らしい挨拶でした。
前日の23日、島根県開星高校の大多和聡宏校長が向陽高校校長に直接謝罪しています。
開星高校校長からは、「素晴らしい試合をされたのに勝利に水を差してしまい、応援されている方々にも不快な思いをさせてしまったこと」を謝罪されてようです。それに対して板橋校長は「大変遺憾。21世紀枠で出場できたことに誇りを持っていたので非常に残念だが、すぐにおわびに駆けつけてくれたことは真摯に受け止めたい」と応対したということです。
この両校の即座の対応は清々しいものです。特に板橋校長の応対は高校を代表しての真摯な態度でした。詳しく触れることはしませんが、この問題は、開星高校が向陽高校に1−2で敗れた後に同校の監督が「21世紀枠に負けたのは末代までの恥です」などと発言したことを受けての対応です。
板橋校長は終業式ではそのことを批判もしないで、向陽高校野球部の清々しさを称えていました。それに加えて印象的だったのが、県民文化会館での演奏会に出場した吹奏楽部のことに触れたことです。吹奏楽部は甲子園でも素晴らしい応援演奏をしてくれましたが、同大会での演奏も感動的で、校長先生は涙が出そうになってそうです。
アテネオリンピックの某局がイメージソングとして流していた「栄光への架け橋」の演奏は、若い人が明日を目指す気持ちを演奏にこめていたと言います。
「大人の演奏やプロの演奏と比較すると、高校生の演奏はレベルが追いつかないかも知れません。しかし、高校生だけが出せる音というものがあります。若い時代にだけ出せる音を演奏することが素晴らしいことなのです」。こう話していました。
今の時だけしか出せない音がある。事実だと思います。そのレベルがどうであれ、今の瞬間に生きていると感じられることが素晴らしい体験なのです。県民文化会館の演奏会もそうですし、甲子園の舞台も同じです。その与えられた瞬間に、自分のもっている力を、全力を尽くして出し切ることが素晴らしいことなのです。その力を出し切ることの繰り返しが人生なのです。力を抜いてばかりでは、自分に感動を与えられません。舞台が整った時は、その時の自分の力を出し切ることが 大切なことです。
尤も、力を出し切ることをしない人には舞台が整えられないことは必然ですから、舞台に登れる人は全力を出すことの意味を知っています。

板橋校長先生は教育者として、与えられた場面では、大きな舞台でも、小さな舞台でも全力を出し切るように教えていると思います。人生という舞台はスポットライトを浴びる場面は少ないのです。大半は舞台裏での作業が続くようなものです。それでも舞台は訪れますから、その時に備えて力を蓄えておく必要があります。
力を蓄えるとは、毎日の小さな作業に全力を尽くすことを意味しています。小さな仕事をすることで信用が築かれます。やがて、あなたのための舞台の幕が上げられます。演じられる時間はわずかですが、その瞬間に全力を出し切れるかどうかで、これからの人生が変わります。

終業式に続いて始業式が始まります。同じことを繰り返す、しかし毎年、確実にレベルアップしていくことが人生だと教えてくれているようです。