コラム
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2010/1/5
801 大人の夢
多くの人は、大人になるとやりたかったことを忘れてしまっています。子どもの頃、何が好きだったのか、何になりたかったのかを忘れてしまっているのです。忘れていなくても、子どもの頃の夢は遠すぎて、大人になった自分が口に出して言うことが恥ずかしくなっているのです。今は何の研究していない大人が「ノーベル賞をとりたい」と話しても、誰も本気だと信用してくれませんし、自分が人前で発言することには躊躇してしまいます。
他人に挨拶もしない、そして親切にできない大人が「ノーベル平和賞をとりたい」と話しても、それは実現が困難だと言わざるを得ません。何故なら、普段の行動がそれに向かっていないからです。
でも子どもの頃の夢が「ノーベル賞をとれる人物になりたい」ということを思い出したら、その大人は今日からの行動を変えることになります。挨拶は自分から行う、福祉施設への慰問活動に参加するなどの行動につながります。慰問活動がその賞につながるかどうか分かりませんが、少なくとも、何もしていない頃の自分よりも近づいているのは間違いありません。夢を持って日常生活を過ごす、夢に向かって生きている。例えノーベル賞に届かなかったとしても、それが心のノーベル賞になりそうです。

ところで、人は古いカセットテープを心にしまいこんでいるようです。子どもの頃に言われた、自分にとって嫌な思い出話はあるものです。それが大人になって何十年も経っても消えないでいることがあります。古いカセットテープが回り続けているからです。「あなたは音痴だから音楽はだめですね」だとか「絵を描くセンスがないわね」といわれた場合、その後の人生は、歌を歌うことが楽しくなくなっていたり、絵を書くことをしない人生を過ごしていることがありまする。これは勿体ないことです。
歌が嫌いな理由、絵を書かない理由が、子どもの頃の先生の一言であったり、親からの一言であった場合は消え去ることなく、そのテープが回っているのです。
しかしカセットテープが消え去りつつある時代です、心の中のカセットテープもそろそろ捨て去りましょう。今まで嫌いだと思っていたことが好きになるかも知れません。その古いカセットテープが子どもから大人になる頃に夢を奪い去っている可能性があります。

それでも子どもの頃に言われたことだけが残り、夢を忘れてしまった大人は、本屋さんに行きましょう。本屋にある本のタイトルを眺めてみます。茶道やいけばな、スキーや書道の本をパラパラと開いてみて、何か響くものがあれば、それが忘れていた夢のかけらかもしれません。
大人になって初めて茶道を志しても良いのです。初めて釣りに挑戦しても良いのです。もしかしたら、出合った本が夢の扉を開いてくれたのかも知れないのです。
そうして見つけた夢は、子どもの頃の夢であっても、新しい夢であっても、今の大人であるあなたにとって、この時で会った素晴らしい夢なのです。