令和7年の誕生日で89歳を迎える方の話が印象的だったので記します。
「私が小学校に入学したのは昭和16年4月でした。国語の教科書の一頁に載っていたのが『さいた さいた さくらの花が』でした。春は桜の日本で一番華やかな季節を感じさせる桜の詩を最初に習いました。
ところがその時の年末、昭和16年12月8日に太平洋戦争が起きたのです。私は小学一年でしたが、当時の16歳ぐらいの生徒が学徒動員で戦地へと向かい命を落としたのです。
その頃は昭和19年でしたが、国内の雰囲気は敗戦濃厚でした。どこまで戦っても負けるのではと思っていました。
そして幾多の若者の命を賭した戦いで戦争が終わり、今の平和な日本があるのです。私は、桜は華やかな花だと思っていましたが、儚くて寂しい花だと思うようになりました。散る桜を見ると戦争で散った、あの時の年上の人のことを思います。桜は散るものだと思うと寂しく感じます」という話です。
小学一年生の時に開戦したという歴史の事実の中に思い出があることを不思議に思います。多くの人は、第二次世界大戦は歴史の中の出来事だと思っていますが、実は生きている人にとって過去のものではなく、今も継続している歴史なのです。だから平和を思う氣持ちが強く桜を見て感じる心も違うのです。桜を見て平和を感じるのですが、桜は儚く散る花だと思うと、現代の平和も脆くて儚いものだと感じることになります。
桜の花が散るように平和を散らしてはいけません。桜を一年単位で見るのではなくて、長い年月の単位で見るようにしたいと思います。例え今年の花が散っても毎年花を咲かしてくれる生命力のある花だと思うと、平和は私たちが継続して維持するものであり、散らしてはならないものに感じます。例え散らすような出来事があったとしても、翌年には咲くように心の状態を平穏に維持しなければならないのです。
昭和生まれの僕でさえ昭和19年は遠く感じます。昭和19年は戦国時代や幕末などと同じように歴史で習った一頁であり、体験したものではないのです。でも近くに体験した人がいることで過ぎ去った歴史ではなく、現代もその出来事を教訓として平和を継続することが生きる者の使命だと思えます。
また桜の花の話として、千利休のことを伝えてくれました。
千利休は、明日、戦場に向かう武将たちを茶室に招き「はらはらと散る桜を生けるのです。利休が手を触れるごとに、桜の花弁ははらはらと散りました。武将たちはやりきれなく『散りて候』と言うと、利休は『散る桜、残る桜もやがて散りゆく。散ればこそ、いと桜は目でたけれ』と武将たちの心を癒されました」の逸話です。
89歳の方の思い出話から、その時代のモノトーンの光景の一部に触れることができました。話を聴くことで、大戦のことと平和を考えることになったのです。やはり戦争体験の話を聴くことは大事なことであり、聴くことで知ることとなり「護らなければ」の意識が芽生えます。昭和19年の桜の話を聴かせてもらったことに感謝しています。