甲子園常連校の強さの一端を聴くことができました。毎年のように甲子園を目指すチームの強さは練習量と意識の高さ、目標を同じくするメンバーの結束力にあるように感じました。もちろんそのチームに入った訳ではないので実際のところは分かりませんが、話から推測したことです。
練習量は半端ではありません。量質転化と言いますが、どんなことでも最初から質は伴いません。初心者から始まり初級、中級、上級へと階段を進み、ようやく一流の域に踏み込むことができます。一流になるまでには量をこなさなければなりません。最初から質を求めても初球の段階ではあり得ません。良い指導者に付き練習量をこなすこと。これが上達するために必要な基本です。
その次が意識の高さです。練習に対する意識、監督を信頼して練習についていく意識、野球ができることへの両親への感謝の意識、学校の近隣の人たちへの感謝する意識などがあります。そんな意識の高さが行動に出ています。意識は確認できないので見えませんが、行動する姿は見えます。練習の態度、監督の問いかけに対する返事、学校周辺の掃除や寮生活での礼儀正しさなどの行動で意識の高さを見ることができます。
超一流のプロ選手になると、母校への野球用具の寄贈や、地元へのトレーニングセンターや野球場の設置、少年野球チームの支援などの恩返しをしています。その意識の高さが分からない人は「節税対策」など意識の低いことを話していますが、その世界で超一流に上り詰めたプロ選手は、同じ意識のはずはありません。意識レベルが違うと、意識レベルの高い人の内心や行動を理解できないので、自分の同じ意識レベルでその行動を見てしまうのです。
まさに「燕雀 安んぞ 鴻鵠の志を知らんや」(史記)です。この意味は、つまらない人物には大人物の遠大な志は分からないということです。
燕雀はつばめとすずめ、鴻鵠はおおとりとくぐい。小さな鳥にどうして大きな鳥の心がわかるだろうかという意味です。甲子園常連校の意識の高さは、接してみないとなかなか分からないと思います。
そしてメンバーの結束力です。甲子園出場という同じ目標に向かって日常を過ごしています。部員には乱れはありません。それがなければ、その年のチームが強いチームに仕上がっていかないのです。例え一人でもチームの和を乱す人がいればチーム力は低下しますし、成長の邪魔になりますから退場してもらう他ありません。3年間という限られた時間の中で心を共有できない選手と一緒にやることはできません。無駄な時間を過ごすことは限られた時間において極めて効率が悪く、決して存在させてはならない時間ですから相手にすることは良しとしません。
結局のところ甲子園常連校の選手の技術レベルはそれほど大差がなく、違いは高い意識レベルの中でも少しの差があることだと思います。この野球に専念できる環境を作ってくれている皆さんへの感謝の気持ちをどれだけ持っているかの差だと思います。甲子園に出場した後の世界において、その意識は行動に現れます。大学や社会人、もしかしたらプロ選手になった時、母校や地元への感謝の気持ちが行動で現れるのです。その行動が後輩に受け継がれて伝統校になっていくのだと思います。
甲子園を目指すチームの話を聴いて、社会も同じだなと思いました。良い会社、組織、団体には一つのことを繰り返す量と意識の高さ、目標を同じくするチームがあることが必要だからです。そこには感謝の気持ちが込められているのは言うまでもありません。