コラム
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2022/9/1
1888    太刀ヶ谷神社お祭り

令和4年8月27日。太刀ヶ谷神社のお祭りに参加しました。令和3年に「来年の太刀ヶ谷神社のお祭りには参加します」と伝えていたこともあり、立谷会長から案内をいただきました。太刀ヶ谷会館で紹介してもらい、続いて挨拶の機会をいただきました。

皆さんこんにちは。太刀ヶ谷神社のお祭りに参加させていただき感謝しています。この伝統あるお祭りには是非とも参加したいと思っていたので、今日、そのことが叶ったことを嬉しく思っています。

太刀ヶ谷神社のことは、地元以外で広めないようにされてきた歴史もあり、お祭りのことも厳格に執り行われてきたことを聞いています。さて神武天皇東征では浪花から泉南を通って和歌山市の雄湊に上陸し、その後は紀伊半島を海路で南下して那智勝浦で上陸したことが日本書紀に記されています。つまり和歌山市を出発して以降の足取りが記されていないのです。

しかし和歌山県内の各地で神武天皇の行程が口碑で伝えられているようで、それらをまとめたものが紀州の歴史の口碑として県立図書館で保管されています。口碑は記録には残っていないけれど地元で公伝されてきた物語であり、記録されていないからと言って事実ではないとは言えないのです。記録されていないだけで、地元の間で語り継がれていることも事実だと思うのです。そんな口碑として記録された紀州の歴史本があり、そこに太刀ヶ谷のことが記されているのです。その時代、記録に残すことは難しいので、語り継ぐ以外に事実を残す方法はなかったのです。

神武天皇が台風の影響を回避するために白浜のこの湾に上陸し地元の人達に迎えられたこと。嵐を鎮めるために腰の太刀を海に投げ込み嵐を治めたことなど、地元で伝わってきた物語は事実ではないかと思うのです。

その証拠として太刀ヶ谷神社がありますし、太刀ヶ谷神社のお祭りとして現在に伝わっているのです。伝わるだけではなくて永く実施されてきたことが、口碑が正しいものであることを物語っていると思います。

太刀ヶ谷神社のお祭りは厳格なものなので、今から20年ぐらい前までは「言ってはいけない」とされてきました。ようやく平成14年に白浜町教育委員会が「無形民俗文化財」として指定したことから話せるようになっています。

僕も多くの人に太刀ヶ谷神社のことを説明していますし、この神社のことを記録しています。またこれまで10回ほど訪問していますし、奈良県や大阪府からのお客さんを案内しています。

今回、念願かなってようやくお祭りに参加することができました。2683年も続いてきた伝統あるお祭りに参加できることは光栄ですし、参加することでこの歴史の一端に加えられることになると思っています。歴史の中に入れるお祭りに参加できることは、素晴らしい経験です。

これを機会として太刀ヶ谷神社のことをさらに発信していきたいと思っていますし、お祭りに参加したことで感じたことを伝えられると思っています。和歌山県が誇る太刀ヶ谷神社の歴史を広める一助になりたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。