コラム
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2022/8/31
1887    偉人の顕彰から見る文化レベル

事務所を訪ねてくれた方が「和歌山県は偉人を顕彰する記念館が極めて少ないですね。陸奥宗光や岡潔などわが国を代表する偉人の記念館がないことは信じられません。南方熊楠や華岡青洲の記念館はある他、最近、有吉佐和子の記念館がやっと完成したぐらいですかね。東京に仕事で行くとよく言われることがあります。『松下幸之助は和歌山県出身ですよね。和歌山県を訪れたら松下記念館を訪ねたいと思いますが、どこにありますか』という問いです。それに対して『生誕地の和歌山市内に松下記念館はないのですよ』と答えているのですが、その反応は全て『信じられません』であり、その後の質問は『和歌山県はどうなっているのですか』と尋ねられます」と話してくれました。

生誕の地で世界の松下幸之助さんの記念館がないことは、偉人を顕彰しない県の表れであり誇りどころか恥の象徴だと思います。生誕の地の和佐遊園には「松下幸之助生誕の地」を示す石碑がありますが、世界の偉人にしては寂しい限りです。

しかも公衆トイレが汚くて、以前、何度も掃除と清潔に保つよう依頼したことがあります。この生誕の地にあるトイレの掃除と管理が十分ではないことも、文化レベルの低さを示しています。経営の神様ですから全国から、経営者や起業家がこの地を訪れています。そんな方々が「この状況を見てどう感じるのか」を思うと恥ずかしくなります。

そんな話をしている中で故郷の偉人である陸奥宗光伯の話をしました。事務所には今年、作成した陸奥宗光伯の記念冊子を置いているので見てもらったところ「陸奥宗光伯を顕彰する活動が盛んになっていることは噂で聞いていました。見事な記念誌が出来上がっていますね。陸奥宗光伯の記念館はあって然るべきですし、ない方がおかしいレベルです。和歌山県の文化レベルは低いと県外の人から言われることは珍しくありませんが、偉人を顕彰しない県ではダメだと思います。大河ドラマにして欲しいぐらいです」と続けて話してくれました。

偉人の記念館がないことは恥じるべきことです。外務大臣として唯一外務省に銅像のある陸奥宗光伯の記念館が地元にないことは恥ずかしいことだと気づくべきです。陸奥外務大臣の次の大臣である小村寿太郎の故郷には立派な記念館があります。これが偉人を称え誇りに思うことであり、その県の文化レベルそのものなのです。

陸奥宗光伯の記念館がないことはおかしなことであり、大河ドラマにも登場していないこともおかしなことです。わが故郷にどんな人物が登場すれば記念館ができるのか不思議に思うぐらいです。もしかしたら、人間の限界をつくらないために陸奥宗光伯を超える人物の登場を願って、わざと設置していないのではないかとも思います。

文化活動をしている皆さんに陸奥宗光伯の記念誌をご覧いただくと、決まって「凄い活動をしていますね」「陸奥宗光伯を誇りに思っていることが分かります」などの意見を聞かせてもらいます。

しかし故郷の偉人が置かれたこの現実は、故郷の偉人を大切にしていない心の表れですから、陸奥宗光伯を顕彰する活動を続けて、和歌山県と和歌山市を振り向かせたいと考えます。

昨日「あがらの和歌山」のメンバーと話したことですが、故郷の光景や偉人のことを記録に残さなければ、いつか消えてしまいます。この「いつか」は100年先の遠い将来ではなく20年、30年後のことになります。

この故郷の偉人の記念誌を発刊したことは、時代が変わっても陸奥宗光伯のことや私達の活動の記録として後世に残ることになります。記録が残ると、きっと誰かが冊子を読んでくれて、この志を引き継いでくれることになると信じています。記念館も大河ドラマも実現していない段階において、今回発刊したこの記念誌は貴重で残すべき記録としての価値があると考えています。