コラム
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2022/3/9
1873    大川小学校のひまわりの種
大川小学校のひまわりの種

「片桐さん、『大川小学校のひまわりの種』はありませんか。以前、近くの自治会が種をもらって地域で植え育てています。片桐さんにもらったと聞いたので、私達も地域で育てたいと思っています。今年も3.11が近づいてきたので、震災のことを忘れないために、そして地域として防災と危機管理を考えるためにいただきたいのですが」との連絡がありました。

東日本大震災のとき、大川小学校の生徒が津波被害に遭いました。子どもを亡くした母親たちが、子ども達が通っていた大川小学校にひまわりを植えたのです。そのひまわりの種は命の種としてテレビで紹介され全国から「種を分けて欲しい」と問い合わせがありました。しかしそのひまわりは「子ども達の命」として育てているもので、外に出すことはしませんでした。

当時、和歌山県は「紀の国わかやま国体」の開催が決定したところでした。震災の記憶を風化させないように、また東北復興を支援するために「復興に向けた国体」にするよう議会で提案したのです。その東北復興のシンボルとして「大川小学校のひまわりの種」を育てて国体会場の紀三井寺競技場で咲かせようとしたのです。

県議会での提案通り「紀の国わかやま国体」で咲かせるため「大川小学校のひまわりの種」は県農業試験場で育成されることになりました。

和歌山県での復興記念国体のため、ひまわりの種を分けてもらい、その種を育成することを希望する小学校、和歌山インターチェンジ横の農地に配布しました。また和歌山市の宮連絡所にも配布して育ててもらいましたが、同時に地元自治会にも配布して育ててもらいました。その自治会で育てたひまわりは、自治会内の生活道路沿いのプランターで花を咲かせ道路を歩く人を楽しませています。

ここに植えたのは理由があります。ひとつは自治会では震災の記憶を留めるとともに、津波や地震が到来したときは避難することを意識づけするためです。

もうひとつの理由は、この付近は通勤や通学の為自動車などの往来が激しいので毎日のようにゴミが捨てられていたからです。自治会長が立て看板を設置しても「ゴミを捨てないで」などの警告文を貼っても一向に解決しませんでした。

そこで「人はきれいな場所にはゴミを捨てない。この場所をゴミが捨てられないようにきれいな場所にしたら良い」と考えてプランターを設置することにしました。

しかも「ただ花を植えるだけでは意味が薄い。人の心を清められるように、そして助け合いと緊急時に危機意識をもってもらうようにしたい」と考えたのです。そこで宮連絡所で「大川小学校のひまわりの種」が育てられていることが浮かんだのです。

そして自治会長から連絡があったので、趣旨に賛同して持っている「大川小学校のひまわりの種」を渡しました。ひまわりが咲いた頃に会長から電話をいただき、プランターを見に行きました。ひまわりが花を咲かせていた場所には、立て看板も張り紙も、もちろんゴミはありませんでした。きれいな場所には人はごみを捨てないし、きれいに保とうとするからです。

「大川小学校のひまわりの種」の依頼を受けて、当時のそんな思いが蘇ってきました。きれいな場所にひまわりを咲かせ人の心を清らかにする。そして3.11の記憶を風化させないで有事に備えて危機意識を持つ。そんな思いを共有しました。