コラム
コラム
2021/10/1
1854    仕事のお話

今思うと20歳の頃の担当業務の量は信じられないものだと思いますが、それが仕事をやるうえでの自信になったのは事実です。どんな仕事でも「できる」と思いましたし、どれだけの仕事を担当させられても「できる」と思ったのです。

当時の担当業務を思い出して列挙してみます。

広報、社員教育、安全、衛生、品質管理、購買、損賠、文書管理、法務、環境、給与などでした。これで10人分とは言いませんが、優に5人から6人分の仕事を担当していたと思います。

例えば広報だけでも一人分ですから、どれだけ多くの仕事を担当していたことが分かると思います。しかも仕事を知っていて鬼のような厳しい上司ですから、仕事の要求レベルは高くて常に報告を求めるタイプでしたから、実に大変だったと記憶しています。

それでも「できた」のは、叛骨心と仕事のすき間を見付けることができたからです。そしてそれまで担当してきた方よりも「レベルの高い仕事をした」と思っています。それまでの仕事を踏襲、または真似るのではなくて、自分なりに規定を勉強しながら改善していったと思います。後に担当する人が僕のりん議書をみた時に「凄い」と思わせることを目指しました。リアルに仕事をした人以外の人に「凄い」と思わせる方法は、仕事の結果として後に残るりん議書と、一緒に仕事をした同僚や後輩からの言葉です。

「あの人が作成したりん議書は凄いレベルだ」と思ってもらえること。そして元同僚や後輩から「以前、ここにいた片桐さんは凄い人だった。10人分の仕事をしていた」などの伝説を伝えてもらえることを目指したのです。

これは僕の主観なので正しい事実なのか分かりませんが、僕が去った職場の後輩から「片桐さんという凄い人がいた」「何人分の仕事が出来た人だった」と職場に伝わっていたことを聞くことがありました。少し嬉しい言い伝えでした。

転勤した先の幹部から次のように言われたことがありましたが、嬉しいことだったのでよく覚えています。

「誰が職場の中心にいたのかは、人を引き抜くとよくわかる。そしてその人は仕事ができるのかどうかも引き抜くと分かる」という言葉です。その人がいなくなった後に職場の力が落ちることや、増員することや仕事を分散して担当する状況になった場合、その人の存在感があったということです。決して自慢ではありませんが、この時の仕事は自分で「よくやった」と自負していることで、その後の自信になっています。

鬼のように仕事に厳しい上司がいたことで、規定を読む、準則や内規を策定するなど基本から仕事を覚えることができました。また仕事は同じことをやるのではなくて、常に仕事のやり方を改善することが仕事だと理解することもできたのです。

懐かしく感じるのは、りん議書や報告書に赤ペンで修正されたので、それを修正するのではなくて一から書かなければならなかったことです。当時はパソコンやワープロがなかった時代ですから、りん議書や報告書は手書きだったのです。一から書く作業は手間がかかり面倒くさい仕事だったのです。上司が赤ペンで真っ赤に訂正していたのは「手間をかけることを覚えさせる」ことも目的だったと思います。簡単に起案した仕事の奥行きは薄くて軽いものになります。しっかりと考えて企画した仕事は重くて後につながる仕事になります。仕事は簡単なものだと思わせないことを教えてくれたのだと思います。考えること、手間をかけること、そしてスピード感を持つことが仕事に挑む姿勢だと思います。