コラム
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2021/9/9
1840    現代に生かしたい日本の歴史3
5.社会のしくみを変える

戦国時代、雑賀衆は鉄砲を3,000丁入手しました。当時の名だたる武田氏や上杉氏など戦国武将でさえ100丁程度入手していたぐらいでした。鉄砲隊を率いた雑賀衆を味方につけることが出来れば、天下が取れると言われたのも頷けます。天下取りを狙った織田信長は二度も紀州入りしたけれど雑賀衆に勝つことはできませんでした。

勝負は従来のしくみを変えた戦いをした側が有利になれます。鉄砲は戦いのしくみを変えた戦術であり、従来の戦い方をしていた武将に勝つことが出来たのです。しかしやがて鉄砲が主流となり、豊臣秀吉軍の大軍による太田城の水攻めによって雑賀衆は敗れることになります。

社会のしくみを変えた人が勝者になれることは現代社会でも同じです。勝者になれるかどうかは別として、統一ルールを作った人がそのしくみを運用できるのですから、社会のしくみを作った人が有利になることは間違いありません。

現代社会で解決すべき大きな課題は脱炭素社会です。これを共通の意識として世界のしくみを創っている人がいると思います。このことは自動車を見ると分かりやすくなります。

脱炭素で世界の自動車業界リードしているのがトヨタ自動車です。ハイブリッド技術は他のメーカーの追従を許さずに圧倒的です。脱炭素でリードしているのが同社ですが、世界はこのしくみを変えようとしています。つまり電気自動車の普及拡大に向かわせていることです。ハイブリッド自動車では対抗できないメーカーが自動車メーカー以外でも参画可能な電気自動車を世界のスタンダードにしようとしくみを変えているのです。バッテリー自動車なのでハイブリッド自動車ほどの技術は必要としていません。事実、自動車メーカー以外の企業が参画して巨大市場である自動車市場で優位に立とうしているのです。

日本はこの分野で劣後にありますが、環境問題に対応した社会のしくみに対応することを迫られています。世界的なわが国の産業を守ることが政府の役割だと思いますが、果たしてその気概があるのか分かりません。歴史を学んで欲しいところです。

6.疫病に対応してきた日本

近代に移ります。明治28年4月、児玉源太郎は後藤新平を呼び検疫業務を行う臨時陸軍検疫部事務官長に任命し、日清戦争の後、帰還兵が感染症を持ち帰ることを危惧しました。清国から帰還するまでの期間は三か月です。後藤新平は広島県宇品港似島の似島検疫所で検疫業務に従事して感染症対策として宿舎、検疫所などを用意します。

帰還兵は「お国のために戦ったのに、国はどうしてこんな扱いをするのだ。どうして迎え入れてくれないのだ。こんなところに留まりたくないから帰る」などと憤りますが、後藤新平は帰還兵たちを検疫が終えるまで故郷に、そして自宅に帰すことはしませんでした。

徹底した感染症対策をして帰還兵を国内に迎え入れたことで、国内で大陸から来る感染症が拡大することは防がれました。これが責任者として感染症を防ぐ覚悟です。

ここで学びがあります。感染症対策とは隔離です。徹底的に隔離すること以外に拡大を防止する対策はありません。今の様に緊急事態宣言、解除、旅行を促す、また緊急事態宣言の繰り返しでは感染症を抑え込むことは到底ながら不可能です。

感染症対策は徹底した隔離以外に対策がないことを指摘しておきます。イギリスや中国では都市封鎖、ロックダウンをしたことで感染を防いでいます。一切の交流を禁止する対策でまん延防止につなげたのです。止めたり動かしたりの対策で感染症は収まることはありません。児玉源太郎と後藤新平の感染症対策に見倣いたいものです。

その後、後藤新平は台湾でも感染症対策の役割を務めることになります。