コラム
コラム
2021/9/6
1837    がんばれベアーズ
がんばれベアーズ

久しぶりに映画「がんばれベアーズ」を観ました。子どもが練習と試合を通じて成長していく物語だと感じていましたが、今、観ると少し違った視点を持ちました。監督はチームに勝つことを求めます。監督は勝つことによって子ども達は「喜びを味わうだろう」と思うのですが、決勝で勝つことを意識した作戦を取ることによって、子ども達に不協和音が生じてきます。

子ども達は、確かに勝ちたいけれど自分がチームで役割を果たすことの方が大事だと思うのです。上手い選手が活躍して勝つことよりも、全員の力で勝ちたいと思うようになっていくのです。弱小チームが強いチームに勝つことを目指して練習をして強くなっていくのですが、最後は勝つことの価値よりもがんばってきたチーム全員が試合に出ることに価値があると気づくのです。

それは決勝戦で子ども達の言葉と態度で「勝つことよりも下手でも全員が試合に出ることが大事だ」と監督が気づくのです。強豪チームのヤンキースは勝つことが命題なので、徹底して勝ちにこだわります。しかしベアーズは勝つことも目指しているけれど、がんばってきた控えのメンバーも試合に出て欲しいと思うのです。それで勝つことができたら最高だと試合が進むにつれて思うようになるのです。そしてレギュラー選手も、つい今まで自分も下手だったから分かるのです。

下手だったから人の気持ちが分かります。下手だったからがんばれば成長できることを知っています。そうです。現代社会は「がんばる」ことを是としない空気がありますが、「がんばる」ことだけが成長につながる道なのです。少なくともがんばらないで成長や勝利を得られた事例を知りません。目指すものがあれば、やはり「がんばる」ことが必要なのです。

「がんばれ」と言ってはいけないと言われることがありますが、ケースによって異なると思います。これから成長していく子ども達には「がんばって」と状況に応じて促してあげたいものですし、大人であっても「まだまだ成長しよう」と思っている人に対しては「がんばれ」と声を掛けたいものです。

近年、またコロナ禍にあって、他人に求めることがおおくなっています。「これでいいや」「誰かが助けてくれる」「自分がやることではない」と思う傾向が強くなっているように感じています。しかし「がんばる」を見ている人が応援してくれるのです。「がんばる」姿は周囲の人を動かす力があるのです。

「がんばる」ことを求めない社会になっていますが、人を応援する気持ちで「がんばって」と気持ちを伝えることは大切なことです。

僕が「がんばれベアーズ」を観たのは昭和52年、中学三年生の春の時期です。映画館で子ども達が頑張る姿を観て涙が出てきたことを覚えています。そして「自分は頑張ってなかったのではないか。よし頑張ろう」と思ったのです。

当時、映画館に連れて行ってくれたのは父親でした。高校受験に失敗して落ち込んでいる時に「ちょっと行こうか」と行き先を言わずにスクーターの後部席に乗って行った映画が「がんばれベアーズ」でした。映画を観た後、追加募集の向陽高校の入学受験に合格したことは言うまでもありません。これは人生の入り口を開いてくれた思い出の映画なのです。