コラム
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2021/8/30
1833    人生は27,375日

映画「オール・マイ・ライフ」の台詞が人生を感じさせるので凄いのです。

「人生はおよそ27,375日である。運が良ければ。その中で思い出せる日は何日あるのだろうか。ほとんどの日は意識することなく過ぎていく。漫然と日常の中で消えていく。記憶に残らない日がほとんどで、笑える日など特別な日だけが記憶に残っている。人生は記憶に残らない日で占められている」というものです。

日常のほとんどが記憶に残らない日ですから、人生は記憶に残らない日を過ごすことになります。記憶に残るのは特別な日だけで、それは人生の節目となる出来事や笑った日、嬉しかった日、そして悲しい日など感情を持った日などです。具体的には入学試験、入学、卒業、就職や定年の日などが特別な日に該当します。

子どもの頃の記憶は運動会でシートを敷いて食べたお弁当。小学校低学年の時の参観日に母親が来たこと。しかし高学年になると恥ずかしいから「来ないで」と言うようになったことも記憶にあります。そして遠足の日に備えてお菓子屋さんで500円分のお菓子を選んで買ったことやお弁当を持って行ったことも覚えています。修学旅行は最高学年になったことから大人の気持ちで京都や東京に行ったことが記憶です。

入学式や卒業式も特別な日なので記憶にあります。みんなの仲が良かった6年3組を卒業する時は寂しさを感じました。同級生と担任の尾崎加代子先生と別れることが寂しいと感じたものです。記憶にあるのはあまりに仲が良かったので、クラスがまとまり「3組は鎖組をしている」と言われたほどでした。

小学校5年生の時は古い木造の校舎を壊して鉄筋に建て替える時期だったので、プレハブ教室だったことも記憶にあります。雨が降るとトタン屋根の雨音で先生の声が聴こえないほどでした。しかし6年生になると鉄筋の新築校舎で新しい香りのするきれいな教室で最高の同級生と一緒にいられたことが記憶です。仲が良くて楽しかった6年生ですが、確かに日々の記憶はなく全体的に「楽しい一年間だった」という記憶です。

勉強では「平家物語」「国盗り物語」「八犬伝」などの歴史物語を覚えています。そう言えば生徒会に立候補したので名前入りのタスキを作ってもらったのを肩から掛けて「片桐をよろしく」と廊下を歩いたり、体育館に生徒が集まった場面で候補者として「学校を良くするための生徒会活動について」演説をしたことも記憶にあります。

修学旅行で行った京都では、本能寺の見学やその近くの旅館に宿泊したことが記憶にあります。織田信長のファンだったので、本能寺を訪れることにワクワクした記憶があります。

今でも鉄筋の教室を去る時に感じた寂しさも覚えています。当時、最新だった新しい空気を感じた鉄筋の校舎ですが、その後、木造校舎が次々に建て替えされていったので、今では宮前小学校で最も古い校舎になっています。令和の時代に入り、もう建て替え対象になっているかもしれません。

小学校時代を書き出していても、6年間という長い月日を長編で書くことは出来ません。勉強や体育の授業、休憩時間の遊び、通学の道のりなど、ほとんどが意識していない日の塊となっています。中学校も高校時代も、同じように意識することなく過ぎ去った記憶の塊になっていると思います。でも何もなかった日々ではなく現在に続いている日だと思います。