コラム
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2021/8/26
1831    偉人から学ぶこと

もし坂本龍馬や陸奥宗光伯が圧倒的に周囲から支持されたスーパ―スターであったなら、私達は到底真似をすることも学ぶこともできません。スーパースターが歴史を創ってきたのであれば、歴史からも偉人からも学ぶことはできません。偉人の成長の物語を読んだり学んだりすることで分かったことは「最初から認められる人ではなかった」ということであり、「現役で役割を担っている時は『歴史を創っている最中である』と思ってもいなかった」ということです。普通の人が成長していく過程で優れた先輩に師事し学び、そして自らの意思と行動によって将来を切り拓いていったのです。最初から歴史を創るスターはいないのです。

「竜馬がゆく」の司馬遼太郎氏は高知市の講演会で「坂本龍馬は決して特別な人ではなかった。資料を調べれば調べるほどそう思うのです」と語ったと聞いたことがあります。

これは龍馬が人物ではないというものではなく、人は人に師事し学び、経験を積むことで成長していくことを語ったのです。つまり特別な人がスーパースターとして歴史を創るのではなくて、普通の生活をしている人が何かのきっかけで自らの使命を見つけ、達成するために意思を持ち続けて行動していった結果なのです。

偉人がスーパースターで近づくことも、目指すこともできない人物であったなら、私達が届かない目標だと諦めてしまうことになります。諦めてしまっては歴史や偉人に学ぶことは出来ません。

時は流れて令和3年8月、陸奥宗光伯に関しても同じ紹介がありました。宇都隆史外務副大臣が「和歌山県誕生150年、和歌山市政130年、陸奥宗光先生乃像建立50周年」記念講演会で講師として話してくれたことです。

「明治政府の象徴的な人物が陸奥宗光外務大臣だったと思います。明治時代は誰もが同じ価値観を持っていたので、陸奥宗光が特別な人だったわけではありません。強い気概、外国に学ぶ、至らないところは学ぼうとする意思。それらが明治政府の価値観だったのです。何も特別な人ではなかったのです」というものです。

坂本龍馬も陸奥宗光伯も「特別な人ではなかった」。しかしこれは偉人に向けての最高の誉め言葉だと思います。普通の人が意思と行動の力、加えて神の意思によって歴史の舞台に立ち、不可能に思えることをやり遂げるのです。普通の人が偉人になった瞬間です。

坂本龍馬は薩長同盟と大政奉還。陸奥宗光伯はメキシコやイギリスなどと不平等条約の改正につなげたのです。結果だけを見ると、誰でも「私にはできない」となります。歴史から学ぶとは、結果から学ぶことではないのです。偉人がやり遂げた歴史の結果を見てはいけないのです。

見るべき視点は「誰もが無名の存在であり、何もできないところからスタートしたこと。人から学び行動することで経験を重ねていき徐々に成長を遂げていく。そして周囲の人に支えられて困難な課題を解決していくこと。その後は後輩の育成を見守っていく存在になっていく。特別ではない人が意思を持って行動することでやるべきことをやり遂げていく」ところです。私達は歴史を生きている存在ですから、まだ結果が出ていないことに取り組んでいます。結果が出ていないので歴史上の人物と比較できないのは当然のことです。生きている限り日々前進していることに氣づき、意思を持って生きてみたいと思います。