コラム
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2021/8/19
1826    樺太1946年冬

「樺太1946年冬」の小冊子をいただきました。著者は服部康子さんという方です。無名の方ですが、昭和20年当時、南樺太で生活されていた方でした。和歌山市の県民文化会館で「氷雪の門」の上映会を行っていることを知り、会場にお越しいただいたことがご縁となり、この小冊子につながっています。
その日、服部さんは県民文化会館の開場時間の30分前に玄関に並ばれたそうです。スタッフの一人が「まだ開場まで時間があります」と声を掛けたところ、泉南地域からお越しになられたそうで、「この映画が上映されると聞いたので来ました」と話したそうです。
映画を観たいと思った理由は「私、昭和20年8月は南稚内で生活していたのですよ。ソ連軍が侵攻してきた時にその場にいたのです」という話をされたのでスタッフは驚いて、その後に「聴き取り」をするためのつながりを持ったのです。記憶は記録に残さなければ消え去ってしまいます。余程のことがない限り、個人の体験は引き継がれることは決して多くはありません。親から子どもへ、教師から生徒へと引き継がれることはありますが、文字で、記録して引き継がれる機会は多くないと思います。
話してもらったことは年月と共に記憶が不確かなものになっていきますし、親しい人や強烈な印象がある話以外のことは、自ら体験したものでなければ忘却の彼方へと向かうのです。

服部さんの南樺太の記憶もそうなる運命でしたが、当時、全国で例がない和歌山市で「氷雪の門」の上映会が開催されていたこと。その情報を得た服部さんが会場に来てくれたこと。しかも会場前の早い時間に待ってくれていたこと。そこにスタッフが声を掛けたこと。スタッフは勘が働いて「南稚内の体験話を聞かなければ」と思ったこと。そして小冊子を発刊しようと思いインタビューを行ったことなど、全てのタイミングが合ったことから、この小冊子ができたのです。

それから何十年後の令和3年8月、僕のところに「樺太1946年冬」が届いたのです。これは奇跡という言葉が似合うものであり、当時のスタッフから「当時、映画を観てくれた方が『氷雪の門』の物語を語り継いでくれていることを嬉しく思います。我々がやるべきことですが、思いを引き継いでくれているので、是非、読んでもらいたいと思いました」と言う言葉と共に小冊子を受け取りました。映画「氷雪の門」のDVDと共にです。
映画「氷雪の門」が完成した当時、映画館での上映が禁止されたことで幻の映画とされていました。偶然が重なって和歌山市在住の方がこのフィルムを所有していたことから、毎年8月の終戦記念日の日を中心に上映会を続けていたのです。当時、誘いを受けて観たのですが「終戦後、南樺太でこんな歴史があったんだ」と思い、南樺太で起きた歴史を知らなかったことを詫びました。

あれから何度も鑑賞していますが、今でも真岡郵便局で9人の乙女が青酸カリで自殺する場面では息が止まり、涙が出てきます。わが国を護ってくれた9人の乙女の覚悟を忘れてはいけないことです。今では「9人の乙女」の物語は勿論、北緯50度で南北に分けられていた樺太を知る人さえ少なくなっています。領土問題は記憶と記録、そして語り継がれなくなっていくことでなくなってしまいます。この小冊子は忘却を止める役割と、昭和20年から1年後の樺太の生活のワンシーンを描いています。記録として残ったことを嬉しく思います。