コラム
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2021/7/20
1810    稚内公園
稚内公園

映画「氷雪の門」。昭和20年8月15日、第二次世界大戦で日本がポツダム宣言を受諾した日以降にソ連軍が南樺太を侵攻した歴史があります。ポツダム宣言受諾後は停戦に向かったのですがソ連軍の侵攻は止まることなく日本軍との戦闘が続いていました。この南樺太ではソ連軍の上陸作戦による戦線拡大もあり、同年8月25日の大泊占領まで樺太の戦いは続いた歴史があります。
この時、ソ連軍に侵攻されてわが国の領土だった南樺太が日本地図から消えたのです。それまで北緯50度以南の南樺太は、日本人が街を形成して生活をしていた日本だったのです。その南樺太にソ連軍が侵攻した時のことを描いたのが「氷雪の門」なのです。
昭和20年8月20日、樺太真岡へのソ連軍侵攻に際し国を護ろうと使命を果たした電話交換手の女性12人のうちの9人が青酸カリを用いて自殺しています。彼女たちは命を賭けて国を護ってくれた英雄だと思います。その「九人の乙女の像」が稚内公園に建立されています。また「開基百年記念塔」もあり、ここの二階に映画「氷雪の門」の解説コーナーがあります。
毎年、メンバーを募ってこの地を訪れていますが、訪れる度に感謝と感動の気持ちになります。この乙女の物語も、語り継ぐ人がいなければ歴史から消え去っていたかもしれないのです。地元で石碑が建立されたことと稚内市教育委員会で学校教育に取り入れていることから、消えることなく今もわが国の尊い歴史と乙女達の覚悟のお陰でわが国、そして北海道がソ連軍の侵攻から護られたのです。

ソ連軍の侵攻から逃げることなく臆することなく使命を果たした乙女達の行動は、この物語を知る人にとって涙腺を緩めるものです。稚内市が護ってくれたわが国の尊い歴史に感謝する他ありません。

訪れる時間は短いかもしれませんが、この地を訪れることに意味があると考えています。それは北海道の北端にある稚内公園を訪問することは覚悟がいることだからです。和歌山県から移動する時間と費用を考えると、この「氷雪の門」の歴史が刻まれた場所を訪ねようと思う人は少数だと思います。そんな中、気持ちを持って参加してくれる皆さんに感謝していますし、視察を終えた後は一様に「来たことで南樺太の歴史を知りました」「わが国の問題や国際情勢を考える契機になりました」「帰ってからで結構なので映画上映会を開催してください」などの意見をいただいています。稚内公園を訪れることがなければ、こんな感想を伝えてくれることはありません。

歴史を学び知ること、そして舞台を訪れることは知識を得ることと自ら行動を起こして得た体験になります。知識と体験から生み出される行動は、それ以前とは違ったものになるはずです。北海道を代表する観光地は札幌や函館、小樽などだと思いますから、そこから遠い稚内市を訪れる決心をしてくれた皆さんに感謝していますし、「氷雪の門」の物語を知ってくれたことによる意識と行動の変化を期待することになります。

意識のベクトルを向けないことや何も動かなければ、自分の意識も行動も変化は起きません。意識を向けることと行動は、この後の出来事を変える力を持っています。

「氷雪の門」を知ることは小さなことではなく、今後を変える力を与えてくれると信じています。