コラム
コラム
2021/7/9
1804    同期の退職

同期入社のU君が定年退職の日を迎えた時のことです。当日の朝、「長いようで短い会社生活だった」と話したように時は過ぎてしまうと一瞬です。ただこの一瞬の中に存在する日々はかけがえのない宝物です。しかも誰にも渡ることのない大切なものであり、これからは時間と共に醸成されて味わい深いものになっていくと思います。

これまでの経験を語れる人生があることは素晴らしいことです。真面目な彼が退職の挨拶で言ったことから分かることです。「社員を大切にしてくれる会社で働けたことは幸せでした」。これは幸せな現役生活を終えた瞬間の寂しさも入り混じった言葉でもありました。

感謝の言葉が終わりに差し掛かった時、言葉に詰まったことが幸せな現役生活だったことを示してくれました。社会人になると喜怒哀楽が少なくなっていきます。思い切り怒ることも、思い切り感動することも少なくなっていくのです。感動で言葉に詰まる経験ができることは幸せだと思います。
会社を去る日が訪れる。これは会社勤めをしているなら何時かは誰にでも訪れる日ですが、特別の日になることは間違いありません。楽しいことも、仕事を達成した喜びも、辛い思いも苦しいこともあったと思いますが、過ぎてしまうとこれらの日々が宝物に思えるでしょう。
人生は日々の選択の連続でできています。ほとんどが小さな選択の繰り返しですが、その選択した結果が今日と言う日です。彼の就職先を決めた選択の日から長い時が過ぎ、その選択が正しかったことを証明した日が今日であり、その選択が人生に多くの物を与えてくれたと思うのです。成長し続けた日々、職場の仲間、困難な仕事を達成した時の喜びなどがそれに該当すると思います。こんなことを思い浮かぶことが「選択は正しかった」と思える材料となります。
結果として小さな選択をした日々が増えていき、大きな選択をした人生になっているのです。やはり人生の幸せは、大きな選択の結果があって得られるものだと思います。60歳は人生の中の山頂にあるのか。まだ登っている途中なのかは分かりませんが、できることなら目指すべき頂はまだ先にあることを願っています。ただ今は、山頂が見えてきた充実感に浸って暫く休憩して欲しいと願います。そして再び山頂を目指してゆっくりと登り始めることを期待しています。

さて、同じ年の仲間が定年を迎えて去っていくことは寂しさを感じるものです。仲間が去っていく寂しさと、残った者としての寂しさを感じます。どんな場合でも時は止まることなく動いていて、私達の感情を飲み込んでいきます。しかし感情を飲み込んでいく時を生きることが人生であり、無機質な時の中に感情を溶け込ませることが素敵だと思うのです。
悠久の時間は、短い人生を懸命に生きた私達の感情を抱えて遠くまで運んでくれると思うからです。身体は時間の速度を越えることはできませんが、形のない強い感情は時間と共に進んでいくと思うのです。有形の身体は消える時が訪れるとしても、無形である強い感情は存在し続けると思います。

喜び、感謝の気持ち、感動した経験、そして言葉を詰まらせる涙。これらは強い感情であり、時間の中に残すべき感情です。これまで多くの人が生きた証となる感情が時間と共に動いて、私達が創り出した歴史になっているのです。歴史とは過去のものだけではなく現代のものでもあり、これから訪れる未来も歴史ですから、ずっと継続していくものです。

そんな歴史を創っている人生を過ごせていることに感謝しています。今日の日も歴史の一頁となるものです。定年退職を迎えられたこと、おめでとうございます。