コラム
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2021/6/24
1793    シャンソンコンサート

コロナ禍にあって活動を自粛しているアーティストの方は大勢いると思います。和歌山市を拠点に活動をしているシャンソン歌手のMさんもその一人です。令和3年6月にコンサートを開催することを計画しました。同年2月頃だったと思います。「今年6月にコンサートをやろうと思っています。まだ感染症の動向で実施できるかどうか分かりませんが、開催する時は是非ともお願いします」と依頼を受けていました。

感染症が広がった都道府県に緊急事態宣言が出され、和歌山県内でも感染者数が増加したことから、一時期は「開催は難しいかも」と思いましたが、思いが通じたのかコンサート開催の運びとなりました。

Mさんは開催できる喜びと、お客さんに来てもらえる喜びを感じています。感染症対策をしているとは言え、開催自体が難しい中、来てくれるお客さんがいることに最大の喜びを感じていることが分かります。

その中には令和3年4月にお亡くなりになった、和歌山シャンソン協会のIさんの存在もあるように思います。Iさんの告別式は4月24日、土曜日で、この日は和歌山シャンソン協会主催の「パリの風に寄せてシャンソンコンサート」を開催する予定日だったのです。Iさんは出演する予定をしていたのですが、コロナ禍のためコンサートは中止、偶然ですが告別式の日となりました。本来であればシャンソンコンサートが開催されていた日が告別式になったことは偶然とは言え、シャンソンに愛されたIさんだったと感じます。

告別式会場でMさんと「本来であれば今日がコンサートの日で歌っていたはずだったのにね」と話し合いました。100歳になるまでシャンソンのステージで歌うことを目指していた和歌山シャンソン協会の重鎮のIさんらしいお別れの日になりました。

その気持ちがMさんに「絶対にシャンソンコンサートを開催する」と決意させたと思っています。それはMさんから「片桐さん、私のコンサートでは挨拶をお願いしますね。和歌山シャンソン協会とのご縁も少し触れてくださいね」という依頼内容から伺い知ることができたからです。Iさんが心血を注いで育て守ってきた和歌山シャンソン協会を大事に想っているからこその依頼です。僕がMさんと知り合ったのも和歌山シャンソン協会がご縁でしたし、和歌山シャンソン協会からソロコンサートを実施するまで成長していったのがMさんなのです。きっとIさんがいれば応援に駆け付けたと思いますし、もしかしたら友情出演をしていたかもしれないと思います。

レッスンと舞台準備を整えながら当日を迎えることになります。久しぶりの舞台で緊張していると思いますが、Mさんは僕にも緊張するような追加依頼をしてくれました。
「片桐さん、当日は挨拶を終えた後にアカペラでシャンソンの一節を歌ってください」という依頼です。「舞台上においてアカペラでシャンソン」と驚くような依頼です。一気に緊張が走りました。ただこれもMさんの依頼であり、Iさんの意思が込められていると解釈して、この重大な依頼を引き受けました。

Mさんからは「気が付いたのですが私は片桐さんのシャンソンを聴いたことがありません。楽しみです」と追加話がありました。さらに緊張が高まったのは言うまでもありません。シャンソン協会の皆さんは、「歌詞を覚えて生演奏をバックに舞台で歌う緊張を感じながら歌っていたんだ」と思うと「皆さん達は、毎年、新しい曲を覚えるなど凄いことに挑戦してきたんだなぁ」と感じました。自分で体験してみると、そのことの凄さが分かります。舞台で緊張しながら歌っている皆さんを「凄い」と思うのです。第三者でいると分からないことが、当事者になるとその凄さが分かります。そんな感覚を持ってMさんのシャンソンコンサートを楽しみたいと思います。いつもと違った緊張を感じながら。