コラム
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2021/6/8
1783    時代の評価

時間の経過は不思議なものです。古い映画をいつでも観れる時代になっているので、そのことを感じます。1970年代から1990年代に上映された映画が今では名作に数えられているのです。「サタデーナイトフィーバー」「グリース」「フットルース」「プリティウーマン」「ボディガード」「ノッティングヒルの恋人」などが該当します。

当時、映画館で上映されていたものでもちろん「名作」のカテゴリーに入っておらず、普通の感動する青春映画のような映画でした。主観ですが当時の名作は「明日に向かって撃て」や「ローマの休日」「エデンの東」「卒業」などがありました。今でも名作ですが、当時でも名作の扱いになっていました。それらと比較すると今まさに上映されている映画は「単なる青春映画」やお気に入りのグリースは「オリビアニュートンジョンはとても高校生に見えない。トラボルタも役柄に無理がある」「何を伝えたいのかを感じられない」などの酷評もされていました。同じくお気に入りの「サタデーナイトフィーバー」も「退屈な若者たちがダンスに夢中になっているだけの映画」と評されていました。しかしその後のダンスブーム、ディスコブームへと発展していくのですから、時代は若者文化が創るものだと感じました。その象徴的な映画の主役がジョン・トラボルタでした。

その時代、リアルタイムで観た私達は、10代は社会の主役ではないので時代を創る存在ではなく「面白い映画」で話題になっていた程度でした。

それが2020年代では名作として評価を得ています。これは上映された当時のことを知っている者として嬉しいことです。時代の洗礼を受けて残ってきた映画が名作の地位を築いているのです。今、改めて観ると「やはりおもしろい」のですが、それに加えて「その時代を反映している名作」だと思うのです。その時代の空気を感じることが出来ますし、名優たちの若い時代の姿を観ることは楽しいことだと思います。

そしてとても懐かしい歌の数々。やはり時代の空気を感じながらも、今聴いてもでも新鮮さがあります。それらの時代を生きてきた僕は、そんな歌を口ずさみながら、どこかに哀愁を感じています。それは過ぎてしまったものを懐かしむ感情から来るものだと思います。

今の映画も何年後かには名作として評価されて、古い時代を感じさせるものになっているのでしょうか。そう思うと音楽や映画はとても大事なものに思えます。娯楽は時代表す鏡であり文化を創り出していると思います。1970年代から1990年代のものはもう評価が固まって歴史の一部になっています。そう、リアルタイムを生きた私達でも変えることのできない歴史になっているのです。その時を変えようとしたことが過去の評価になっていて、すっかり時代の中に納まっています。生きた時代の作品が評価されていることは嬉しいことでもあり、もう変化を求めない世代に突入している寂しさも感じます。

一瞬に過ぎないことが歴史になっている。決してライブで体験できるものではなくなっている、この不思議さを感じています。

いつか2020年や2021年でさえ、歴史の一部となりどんな時代だったのか評価されることになるのでしょう。その時、どんな映画や音楽が生き残っているのでしょうか。現役時代として社会にいる私達が生きている時代がどんな評価を受けることになるのか、この先を楽しみにしています。