コラム
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2021/5/24
1775    マイナスからのイエス

「マイナスからのイエス」。「やってやろう」と思えるような良い言葉です。誰かの後ろ盾があると仕事がやりやすくなることや、持っている能力以上のことが実現できることがあります。それは仕事の相手が、あなたではなくて背後にいる実力者を見ているからです。極端に言うと表に出る人はあなたでなくても誰でも良いのです。

ところが後ろ盾のない人が仕事を仕上げようとすれば、困難があり、乗り越えるべき壁があり、邪魔があります。さらに理論と熱意をもって説得することや、そのための資料を作成することなど、決してイエスと言ってもらうことは簡単ではないのです。

何も後ろ盾のない人のスタート地点を「マイナス」と表現しているのです。「マイナス」からスタートする勇気、始めから分かっている困難を乗り越えていく過程に成長があるのです。だから権力の後ろ盾をもっていない人が「イエス」と言わせるのは簡単ではありませんが、やり遂げたなら、それは本人の実力だといえるのです。

世の中、権限者にすり寄ろうとする人が多いことは周知のことですから、表に立っている人が権力者の操り人形であることを見抜いています。だから地位だけでは尊敬されないのです。だから「マイナスからイエス」に持ち込もうとしている人を「尊敬している」という方がいるのです。

コロナ禍において既に社会は変わっています。古い価値に縛られた権限者が尊敬される社会ではなくなろうとしています。それでも勘違いしている人がいることを、既に多くの人は知っています。「私だけがやることができる」「私を通さないとうまく行かない」などの台詞を聞いた人から話を伺うことが多くなっています。

コロナ禍になってから、皆さんから次のような声を聞いています。「立場を笠に着て偉そうにしているから信用できない」「仕方ないから言うとおりにしたのですが、次からは行かない」「背後に力があるので立場を築いているだけなのに勘違いしている」「以前はそうではなかったけれど、今は人を見下している態度である」などの声を聞かせてもらうことがあります。それは決して少なくない声です。

しかし社会での権限は預からせてもらっているものです。いつかお返しすべきものですから、受け取った場合、謙虚に使わせてもらうべきものです。議員であれば有権者、つまり社会から預かったものであり、株式会社の社長であれば株主から預かったもの、部長であれば会社から職位を預かったものです。決してその人が偉いのではなくて、その時に与えられたものを責任と共に使えているだけなのです。

だから後ろ盾のない人が熱意と行動力をもって権限者に「マイナスからイエス」と言わすことができたから本当に凄いと思います。権限者に「イエス」と言わせるためには「実力を認めさせる」か「熱意」、「迫力」があること。または「この提案にNOと言うことはできない」、「NOと言わせないだけの提案」であることが求められます。

現代社会は権力と立ちふさがる壁などで混沌としていますが、本気で社会を良くしようと考えて行動している人がいます。権限者も社会を良くしたいと思ってその立場を目指したのですから「マイナスからやり遂げよう」としている人の邪魔をしないこと、立場を超えて度量をもって支援して欲しいものです。「マイナスからのイエス」に力をもらっています。