コラム
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2021/5/13
1768    紀伊半島の価値

懐かしい感じが蘇りました。今から約30年近く前のことです。「紀伊半島にはお金で買えない価値がある。それは長い年月をかけて育んできた自然と人々が築いてきた歴史に代表される価値です。お金で買えるものは入手することができるけれど、お金で買えないものはあるところに行く必要があります」という価値です。

その価値は「紀伊半島にある」ことを30年前から訴え続けてくれているのです。話し合いの中で、令和の時代においてもその価値は変わることがないことを確認しました。

そんな約30年前のエピソードです。当時、アメリカやハワイ、東京など都会でのビジネス、生活に疲れたAさんは熊野に移り住んでいました。熊野の地で癒されるために戻ってきたのです。そんな時、心配した香港の友人が訪ねてきたそうです。

「Aさん、熊野の地、都会ではない紀伊半島の奥の森に暮らしていると聞いて心配して来てみたのですが、心配ではなくなりました。なんて素晴らしい場所なのでしょう。ここに別荘を建てたら香港からたくさんの人がやってきますよ。紀伊半島、そして熊野の価値を地元の人は気づいていないのではないでしょうか。こんな自然に囲まれたきれいな場所は暮らす価値、住む価値があります。外国のお金持ちが紀伊半島に来るだけでその魅力を知ることになり、別荘を持ちたくなりますよ」という主旨の話をしたそうです。

紀伊半島の自然と歴史が持つ価値を、熊野を訪れた香港の人が直ぐに見抜いたのです。

しかし地元、和歌山県の私達はその価値に気づいていなかったのです。紀伊半島=田舎。熊野=森。程度に思っていて、価値がある、価値を生み出すとは思っていなかった時代でした。

当時、Aさんは何度も県庁を訪れて、この「紀伊半島の魅力」を話し、「紀伊半島は豊かな外国人が住みたいと思う場所であり、南紀白浜空港をビジネスジェットの運行などで活用すれば、心が豊かで日本の価値を理解する外国の富裕層がやってきます」と伝えていました。

しかも新聞や雑誌に「紀伊半島と魅力」を何度も書いてくれました。しかし誰も反応がなかったのです。それは「和歌山県自身が紀伊半島は遅れた地域であり、開発がお金を生む時代、つまりバブルの時代には価値がない」と思っていたからです。

バブル期、開発の波に乗り遅れた和歌山県なので、紀伊半島の自然は維持されることになりました。これが紀伊半島の価値を継続させてくれたのです。奇跡なのか当時の為政者の不作為なのか判断できませんが、熊野の自然は守られたのです。その後、熊野の価値に気づいた和歌山県は南紀熊野体験博を開催して全国に高野熊野の価値を伝え、その後世界遺産の登録につなげることになります。いち早く紀伊半島の価値を見出したのは、僕が知る限りAさんです。

それから約30年後、紀伊半島の価値は世界が評価するようになりました。外国メディアが訪れるべき地として「紀伊半島」を紹介していますし、昨年来、台湾の方が「和歌山県の持つ日本の誇るべき歴史」を評価してくれています。

約30年前に感じた、そして訴えていた紀伊半島の価値を外国の人が感じて和歌山県を評価してくれています。当時、伝えていた価値である国際空港と別荘、先端的な企業誘致など、長い間眠っていた企画、構想が蘇ってきました。「懐かしいな」と感じながら話を聞かせてもらいました。和歌山県のことを「神様がくれた紀伊半島の自然と価値。それは買うことが出来ない」と最大の価値表現をしてくれました。

「お金を出せば東京は作れる。でも熊野は作れない」ということです。和歌山県が持っている価値を生かす構想を実現できるとこを目指しています。