コラム
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2021/5/12
1767    言葉の力

「ティファニーで朝食を」で、アパートのテラスでギターを弾きながら「ムーン・リバー」を歌っているシーンがあります。このシーンに関して映画の配給会社社長が「映画は素晴らしいが、このシーンはカットしなければ」と言ったようだとのエピソードがあります。流石にヘプバーンは血相を変えて抗議をしようと立ち上がったのですが周囲から止められて自制したというのです。

社長は「映画のシーンになるほど歌がうまくない」と思ったのでしょう。しかし結果として、このシーンは映画史に残る名シーンになっています。

このことをヘプバーンは次のように語っています。

「すばらしい歌は歌詞だけではなく曲も大切でしょう。だからあなたが何を言ったかだけではなく、どのように言ったかが大切なの」と、後になって息子に語ったようです。

同じセリフでも、誰がどのように話したかによって伝わり方が違います。国務大臣の読み原稿は官僚かシナリオライターが書いていると思いますが、その言葉が伝わってくる人もいれば、言葉が全く伝わらない人もいます。

まさに「どのように言ったかが大切」なことに気づいていないように思います。人が書いた原稿を棒読みしても心は伝わりません。人に伝えるためには自分の言葉、または人が書いたものでも自分の中で消化して自分の思いを言葉に乗せて発しなければなりません。棒読みではどんな名文であっても、熱い言葉であっても、思いは伝わらないのです。人に感動を与えるためには、人の行動に影響を与えるためには、言葉で感動させる必要があります。まして原稿を読む場合は、自分で内容を理解して、自分の思いによって言葉をアレンジする、強弱や表情、そして姿勢で訴える必要があります。棒読みで感動させることは絶対に無理です。

式典などの挨拶で原稿を読むだけの時間が退屈な時間になるのは、ただ読んでいるだけだからです。原稿を読んでいるだけ。その人やそのことに興味がある場合を除いて、それを聞かされている人が退屈するのは当たり前のことです。

言葉に力があるのは自分の思いを言葉で伝えているからです。原稿を棒読みしているだけの言葉には力は宿りません。力がない言葉では人を動かすことはできせん。

政府が新型コロナウイルス感染症対策として、緊急事態宣言を発しても「人の動きが止まらない」のは発する言葉に力がないからです。イギリスのエリザベス女王、ドイツのメルケル首相の言葉には力があり、国民の行動を変えてしまったように感じます。民主主義国家は力で抑え込むのではなくて、法律に基づく必要があるので感染症拡大を防ぐことの難しさは理解しています。

だから言葉を発する人が誰なのかが大事なのです。「誰がどのように言ったのか」によって言葉の力の伝わり方が違いますから、結果は当然違ってきます。

役者さんが台本を棒読みしているような映画や舞台があれば、誰も感動することはありません。また観に行く人はいないと思います。台本の台詞を何度も読み込んで自分のモノとし、その役柄の人物の言葉として秘めた気持ちを込めて言葉を発しているのです。だから名作、名優の演技に感動するのです。

「何を言うのか、どのように伝えるのか」を意識することで言葉は力になります。