コラム
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2021/5/10
1765    記念石碑

竈山神社に建立を計画している記念石碑に関してお礼の連絡をいただきました。昨日、現地で作業の様子を伺いに、そして激励とお礼のため訪問しました。丁度、基礎を作っているところだったので「暑い中、ご苦労様です」と声を掛けて挨拶をしました。以下、訪問して挨拶に込められた意味を記します。

小野田寛郎さんの植樹15周年記念式典の趣旨に賛同してくれて記念石碑を寄贈してくれることに感謝しています。記念式典に記念石碑が加わることの意味は大きいと思っていますし、記念石碑が建立されることによって格が上がります。石碑は私達がいなくなった後もこの場所に残るもので、100年後も200年後もここにあります。歴史に残るものを「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」が発起人として寄贈してもらえることは歴史的事業だと思います。

竈山神社に小野田寛郎さんの植えた桜の木を称える記念石碑があることは、記念式典以降、知られることになりますが、企画してくれた人、準備してくれた人、趣旨に賛同して作業をしてくれた人のことは知られることはないと思います。だから僕としては、汗を流して現地で作業していることを残す必要があると思っています。歴史で残されたものの陰にあるものを伝える活動をしている一人として、この事業のため作業をしてくれている人の功績を伝えることが役割だと思っています。歴史は多くの人が関わって足跡が残ります。多くの人の協力があって歴史的な事業として名を残しているのです。結果は残りますが、その過程に携わった人のことは残っていません。しかし名前は残っていないけれど、関わった人達がいるから歴史の頁になるのです。歴史に名を残していないけれど、気持ちを同じくして役割を担ってくれた人達のことを伝えなければ、結果として存在している形だけでは物語にはならないのです。物語はその事業に関わった人の気持ち、行動に駆り立てた内心を伝えることが絶対条件です。

もし一人の登場人物だけを功績のあった者として名前を出して、その事業に関わった人達のことを伝えなければ物語にはなりません。歴史は無名であるけれど志を同じくして関わり、懸命に行動した人がいるから成り立っているのです。

私達の会は、そのことを理解しているので記念石碑を建立できたことを誇りに思うのではなく、建立する趣旨に賛同して関わってくれた人のことや、実際に作業をしてくれた人を誇りに思うのです。仕事ではなくボランティアとして、現地で作業をしてくれていることに感謝の言葉を伝えたいと思って来ました。

隠れた取り組み、知らないところで作業をしてくれているから記念式典の晴れやかな場面が訪れるのです。記念石碑を見て「素晴らしい」と思うのではなくて、記念石碑を作ってくれたことに感謝しているのです。現地を訪れたのは、感謝の気持ちを持ちながら汗を流して作業をしている様子を語れるためです。

小野田寛郎さんが竈山神社に植樹をしてくれたことは素晴らしいとこです。15年が経過して成長した桜の木を見ることも素晴らしいです。そして記念石碑が建立されることも素晴らしいです。しかし携わってくれた人達の物語を語れることは、もっと素晴らしいことだと思います。

多くの人達の協力があって記念石碑が建立されることになります。それが小野田寛郎さんの、竈山神社の、日本書紀の続編としての歴史になっていくのです。後々の人が竈山神社のこの場所を訪れた時、この石碑を見ることでしょう。でもこの時の作業の様子や石碑に込められた意味は分からないと思います。それでも良いと思いますが、そこには記念石碑に込められた物語が残されているべきです。物語のない歴史は感動がないので、訪れた人の心に残りません。携わった人たちの物語があるから感動を呼ぶのです。

水平を測る作業。基礎を作る作業。マムシと蚊取り線香の話。単純に建立しただけでは石碑が道から見えないので工夫をした話。基礎を築いてから石碑を建てるまでの日々。そんな物語を残さなければ感動はありません。表面には表れないことを知り、記録して残すことが大事なことだと知っているので、現地での作業を訪ねたのです。

作業を中断して話をした後「こんなことを言ってくれた人は初めてです」「私達の方こそ、この事業に関わる機会をいただいたことに感謝しているのです」と話してくれました。

その日の夜、関係者の方から「作業現場に行ってくれたことを聞きました。行ってくれてありがとう。現地に来てくれることが支えになりますし、嬉しいことです」と連絡をいただきました。感謝の気持ちを共有できたことを嬉しく思います。