コラム
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2021/4/30
1764    紀伊半島最高

今から約30年も前に書かれた「紀伊半島再考」の記事を読みました。30年前にその価値を感じ取ることのできなかった紀伊半島の持つ価値が書かれていますが、ここに書かれている価値は令和の時代に通用するものです。むしろ気づかなかったことがもったいないと思える価値です。

人が創り出すことのできない神が宿る自然を持つ紀伊半島の価値は、むしろ文化的な外国人が理解するように思います。当時のハワイ州駐日代表がバブル期の日本を見て「これは危ない。日本が世界に誇れる本当の価値は紀伊半島にある」ことを見抜いて記した記事は現在に通用するもので、これを実現させることが和歌山県の価値を世界に問うことになります。

「和歌山県は本物だ」と世界に思わせるような自然を和歌山県は持っていますが、今も尚、ひっそりとしているのです。ゆったりしている和歌山県ですが、もうそろそろ起きても良い頃だと思います。

コロナ禍によって世界は「蘇りの地」である和歌山県の出番を待っているのです。実はこの蘇りは和歌山県の代名詞ともいえます。「小栗判官」の伝説にある熊野の湯で49日間の湯治の末、元の判官の姿に復活した地が和歌山県、熊野なのです。老若男女の全てを受け入れた寛容の地、蘇りの地が熊野であり、熊野こそアフターコロナの時代に登場すべき場所だと思います。しかも20世紀は観光地として取り上げられましたが、熊野の本当の価値は自然信仰であり、宗派を超えて全ての人を受け入れて蘇らせてくれる聖なる地にあります。

外国からビジネスで迎え入れることに最適の地であり、コロナ禍においてビジネス需要を創り出すことが和歌山県に与えられた使命だと思うのです。紀伊半島の持つ価値を世界に伝えることが和歌山県の使命であり、発展のためにすべきことです。

ところで熊野の「クマ」とは、和歌山県の解説によると「神」や「隅」を表す言葉であり「神々のおわす奥まった地」という意味だそうです。

この紀伊半島の歴史は神武天皇東征にまで遡ります。日本書紀にも登場している和歌山県の歴史は世界に通用するものだと思います。私達が世界の古代の歴史の神秘に魅了されるように、世界は熊野の歴史を知れば魅了される筈です。

ここで「紀伊半島再考」から外国人の言葉を引用します。

香港の実業家は「20年以上も日本と付き合ってきて熊野を知らなかったのは大きな損失だ。この自然に触れて初めて、日本の心が理解できたように感じる」。

あるイタリア人は「大都市は世界中どこに行っても大差は無い。それぞれの自然の中にこそ、その国らしさが表れるものである。熊野に来て、やっと自分の求めていた日本を見付けた」。その時代にあった文化人であるビジネスパーソン達は、その頃、日本人がバブルで見向きもしなかった熊野の価値を見つけていたのです。

でも日本人は、まだこの価値に気づいていないかも知れないのです。ですから外国からビジネスで紀伊半島に来てもらうことで理解は速まると思います。国内においては従来のような視点で和歌山県と見做されますが、世界は本物を認めますから、その「世界が認めた価値」を日本人は認めるに違いないと思うからです。

令和の時代にあって世界の和歌山県を目指し「紀伊半島最高」にしたいと考えています。